感情に囚われることと客観視すること

感情は厄介であり、強い感情が発生するとなんというか、振り回される。

私にとって最も厄介な感情は不安だ。人によっては怒りなのかもしれない。私はあまり怒らない。大体の不安は、冷静になって整理してみると極端で非現実的で馬鹿らしいものなのだが、それが発生した時は理性が機能しなくて、正常な判断や客観視はできなくなる。とても厄介だ。

私なりに、不安とどうにかうまくやっていこうという試みを5年くらい続けていて、幾らかは成果が出ていて、昔よりはまだマシになっているけど今でもやはり不安に振り回されながら毎日をやっていっている。不安すぎて生きるのがめんどくさいということは大体毎日考えている。

当たり前だが、自分の人生は主観視点で生きている。構造的に原理的に人体的に、主観視点以外の視点を得ることはできないのだが、物語は例外だ。物語を読むとき私の主観は消えて、客観でその世界を見ることができる。なんかかっこいいこと書こうかと思ったけど有り体に言うと自分の不安は客観視するのが難しいのでめちゃ深刻だけど、他人の不安はなんか笑える見たいな、そういう感じのことが言いたい。自分の不安でめちゃ深刻になっている時に他人の不安を笑えるなって思えると自分の不安も少し軽くなる気がする。

不安だけではなく人生全体や世界全体がそうで、私は主観で生きているが故にそれらを深刻に受け止めすぎるので、物語を読むことでその深刻さを和らげているということがある。割と明確にそういう目的を持って物語を読んだりもするし、そういう用の漫画をKindleで持ち歩いていつでも読めるようにするのは危機対応的にも重要な気がする。そういえば高校生のころ常にヘッセのデミアンを持ち歩いていた。

日記もブログも、割とそういう気持ちで書いている側面もなきにしもあらずという感じだ。冷静になって、そこまでして生きなきゃならんのかめちゃだるいなって気持ちになってきた。