気軽

気軽とは何か、はてなブログのアプリなりフォームで直接書くことかもしれない。

手書きで日記をつける習慣をまた始めた。手書きはだるいし遅いので最近は全然してなかった。朝起きて、日記をつける。

思うに日記くらいしか思考する場所がない。そのほかはいわば自動的で、流れるように1日が終わる。1日のうちでまあ様々な問題を解決するが、それは解決のための自動思考のようなもので、自由さがない。日記は考える。

労働に対するモチベーションがマイナスになった。マイナスになったことからモチベーションが符号付きで定義されていることがわかった。符号なしの場合オーバーフローして255になるのでガンジーが核を打つ。

マイナスなのでサボタージュ行為をしている。具体的にはネットをだらだら見てるし、やらなければだけどやる気ないからいいかとなる。18時ぴったりに打刻するのだけが目標だ。

馬鹿みたいだな、だからどうしたっていうんだろう。やめよう。

キンドルペーパーホワイトを久しぶりに起動したが、これは良いデバイスだなと実感する。特に寝る前読書端末として最適だ。積読キンドル本を消化していく。

タープを買った。着々とアウトドアグッズを揃えている。買っただけでダンボールを開けてすらいない。そしたら今日梅雨入りしてしまった。

やる気は存在しない

やる気は存在しない、ただ習慣があるだけ。やる気が出ない時はそう思うようにしている、やる気が出ないからうまくいかないのではなくて習慣の形成がうまくいってないと。しかし実際やる気があると行動は楽で、私はやる気がない。あと新しいことをどんどんと始める人というのがいて、これは習慣で説明することができない。やる気は存在する。

ミスドの無料券の期限が切れそうだったのでドーナツを引き換えに行った。正月に買った福袋についてきたやつだ。今月までが期限だった。以前に朝行ったら時短営業でやっていなかったので夕方に行った。

ミスドでタピオカが売ってたので、1円も払わずに帰るのもなという言い訳でのもとで買った。あまり注文されないらしく、店員さんはマニュアルを見ながら作っていた。

帰りに花を買った。今まで花を買うということをしない人生だったが、最近はたまに買うようにしている。花屋の勝手がわからないので安売りされている切り花を買った。

焚火台を買った。焚火台を買って意気揚々とアウトドアショップから帰ってきたが、焚火台だけでは焚火はできないということに家についてから気づき、翌日に色々と買い足しに行った。試しにちょっとだけ薪を焚いてみた。週末に遊ぼうと思う。

10万円は、大きい買い物を予定していないので、細かいものを強気で買っている。普段だったらやめとこうと思う千円くらいのものとか、千円くらいのものをもうちょっと出していいもの買ったりとかしている。これはこれで良い。今回の騒動に関係なく臨時収入が他にもあるので精神が安定している。金は精神を安定させる、貨幣が存在しなければもっといいのだが。

物欲の雑誌

楽天マガジンを購読している。楽天マガジンというのは雑誌のサブスクリプションサービスで、月々400円だか払うと雑誌がたくさん読めるやつだ。これはコスパがいい、楽天モバイルを使っていて、毎月ポイントがもらえるので、実質100円くらいしかかかっていないので、コスパがいい。普段読まない雑誌が読めるとか、ネットより多少マシな情報が取れるとか、まあメリットはたくさんある。

私が好んで読むのは &Premium、エルデコ、天然生活、HANAKO、OzMagazine といった女性ライフスタイル雑誌で、素敵な生活やかわいい雑貨などをみて楽しんでいる。私はなぜ男に生まれたんだろうな、まあそれはまた別の問題。

男性向け雑誌は苦手だ。まず私はホモソーシャルが苦手だ。そもそもホモソーシャルというのが具体的に何を指すのかよくわからないが、男が集まって嫌な感じが発生するとそれがホモソーシャルなのだと思っている。私の友人はホモソーシャル味が薄い人が多いが、それでも集まると時折ホモソーシャル的空気が発生することがあり、ホモソーシャル度が高まっていると感じることがある。

男性向け雑誌はホモソーシャルであり、男性性と男性性へのコンプレックスに満ちている、というのは偏見だろうが、そういう感じがして苦手だ。女性ライフスタイル誌は、嫌な空気がないというか、多分私がそれを感じ取れないから、素直に楽しめる。かわいい雑貨は良い。

とまあ楽しんでいるわけだが、何というか、こう、雑誌というものの、消費を喚起してくる感じが苦手だなと常に感じ入る。

まあ、楽天マガジンのラインナップに「現代思想」とかはないわけですよ。あるのはブルータスとか、HANAKO とか、あとは週刊誌。それらの雑誌が放ってくる、消費せよ! というメッセージにうんざりした気持ちになる。雑誌というもの全体への心証が悪くなってくる。この消費せよ、物欲を喚起せよというメッセージを人々は当たり前のように捌いているのだろうか。雑誌を読んでいると、今まさに私の中で物欲が捏造されていると感じる時がある。いや、捏造されているならまだマシで、こいつは私の中に物欲を植えつけようとしている、しかし失敗している、という感じが不快だ。

知らない料理を作るということ

今日の料理ビギナーズの本に、スパイスで作るカレーが紹介されていて、家にあるものだけで作れそうな感じだったので朝作って、昼に食った。美味しかった。今日の料理ビギナーズはビギナーズというだけあって、簡単で手堅い料理が紹介されていて良い。料理の本を読んでいると、普段使わないような食材をつかったおしゃれな料理が紹介されていたりするが、食べたことのないものを作っても何が正解かわからないじゃないかといつも思う。

たとえばこないだ、豚肉とプルーンのウーロン茶煮込みという料理が雑誌に載っていて、なるほど写真はおしゃれだが果たしてそれはうまいのか、そして作ったところでどのような味になるのが正解なのかわからない。大体料理というのは最後の方で、塩で味を整えるみたいな工程があるが、向かう先の味を知らないのにどうやって整えるのだろうか。いや案外適当に作ってもうまいのかもな。でもプルーンの煮込みは勇気いるわ、結局プルーンは買ったけど煮込み作る勇気結局出なくてそのまま食ったからな。

とか何とか思ってしまい、結局スタンダードなレシピがいいなと思う。

焚火がしたいので焚火台を買おうと思った。Amazonで検索するとまあ2000円くらいから売ってはいるのだが、まあ、金も入るし、ここはちょっと奮発してスノーピークのやつを買おうと思った。なんか最近生活必需品とかばっか買ってるし。ネットで注文しても良かったのだが、別に急ぐものでもなし、どうせ雨だし、週末に近くのアウトドアショップに行こう。地域の店を応援しよう。

日記を書く

日記を書けば、何かこう、否が応でも何かしら振り返るわけで、なにか書くに値することがあったかなとか。大体において、生活というのはノンストップというか、流れていくというか、振り返ることもなく、昨日と今日と明日の区別がつかないのが生活なんだが、日記を書くとそれを少し和らげることができる。

プライベートな、本当に誰にも見せない日記は、私は本当にプライベートで、生活のことすら書かない。私の内的生活は(あ、生活って単語を使ってしまった、紛らわしいな)極めて神聖で、日常生活すらもそこに介入することを許されない、ましてや他者なんてもってのほかである。私のプライベートな日記はかなり純粋に私の心情の記録であり、外的生活についての記述はほとんどない。1万年後に私の日記が発掘されたとしても、当時の生活様式や風俗の資料にはならないだろう。

ブログは、なんか知らんがパブリックだし、イマジナリー読者もいるので、そんな私の心情なんていうものを書いても仕方ないので、仕方ない日々のことを書いたりする。そうすると普段は振り返らない日々を振り返ったりする。

何かもうちょっとまとまったものを書きたいと思った。現代とは恐ろしい時代で、思ったことは即実行できるので、やらない言い訳ができない。それは怠惰。まあ怠惰だから別にいいんだけど。

キーボードのEのキーだけ効かなくなってとても困っている。ali express で買ったやすいメカニカルキーボードなのだけど、いまいち不良が多い。でも部品代を考えるとめちゃ安い。分解して掃除してみるかと思ってる。

「新しいゲーム」がしたい

アサシンクリードオリジンズを買った。既視感を感じる。よくできていて面白いゲームなのだが、よくあるゲームだなとも思う。オープンワールドで、レベル制で、スキルを取得して、武器には特殊効果がついていて、素材を集めて、クエストをこなす、そういうゲーム。オープンワールドと、従来のアクションゲームとRPGのいいとこどりをしたゲームシステムは、ゲームの一つの到達点というか回答なんだろうなと思う。面白い、しかしよくあるゲームだ。

いやいや当時は革新的だったんだよ的なツッコミもあるのかもな、まあそういう歴史的価値は今回の本題ではなく、私はゲームにおいて「新しさ」を求めてるなと思った。

ゲームというメディアの消費方法である「プレイ」は他のメディアの消費と比べてインタラクションが強い。さらにゲームは文化として歴史が浅いというものあって、ゲーム体験は日々進化している。というようなウンチクっぽいものを書いてみたが特に続かないな。やり直そう。

「新しいゲーム」がしたいんだよ、素朴に。新しい体験、新しいインタラクション、新しい感覚が欲しい。ああこれはやったことある、わかるわかる、というのはもういいんだ。アサシンクリードオリジンズはいわば換骨奪胎で、ある程度ゲームをやっている人からすればすぐにシステムを飲み込める。なるほどこのシステムはあのゲームのアレみたいなもんか、みたいに。それは逆にいうとシステム的な煩雑さが少なくて、アサシンクリードの主要な面白さを効率的に受け取れるのかもしれない、それが何なのかはとりあえずおいとくとしても。そういうのは私はもう求めていない。

私がソシャゲ(と呼ぶのかわからないけどガチャのモバイルゲーム)をやらないのもそうで、あれらはガチャを中心としたエコシステムのようなものが出来上がっていて、それにガワを被せているだけという感じがする。いやこれはやらない人間の偏見に満ちた感想なので、それらにも色々な独自性や新しい体験があるのかもしれない。ガチャというものが中毒性と収益性を兼ね備えた画期的な発明であり、そこにコンテンツ力のあるガワを被せていく、詰まるところあれらのゲームにはガチャ体験しかない。あと推しという体験。ちなみに私は推しという概念も理解できない。

うっ、偏見が、偏見が漏れてしまった。

去年で言うと、SEKIROとデスストランディングがやはり良かった。両方とも、何じゃこりゃって感じのゲームだった。新しくて、今まで感じたことのない感情が得られた。

新しいって何だ?って今考えてたけどよくわからないな。あるんだよな、ゲームをやっていて、新しいなって思うことが、こういう面白さ、知らなかったなって思うことが。そういう発見のようなものをゲームに求めていて、「ゲームをプレイする」というこの特殊な消費方法は、体験の更新が可能で、新しい体験を生成できるんじゃないかと思っているし、新しい体験を作っていかないとゲームはダメなんじゃないかとも思っている。いやべつに私は完全に受け手なんだけど。まあそんな感じでこれからも面白いゲームが作られていくんだろうなと期待している。

それはそれとしてアサシンクリードは面白いのでやります。