インターネットの無い夜

f:id:futura_C:20190616120234j:plain

ルーターにお茶をぶちまけてしまい、インターネットのない夜を過ごした。何をしようにもネットが無いと不便で、というかそもそもできなくて、インターネット依存度の高さを感じた。本でも読もうかとぼーっと思っているうちに眠った。

金曜日は体調が最悪で、土曜日はひどい雨だった。たぶんこれのせいだ。日曜日は晴れたのでよかった。カフェでサンドイッチを食べるなどした。

何かトラブルが起こると何もかも嫌になる。全部やめたくなる。全部やめたいという気持ちが溢れてしにたくなる。ふてくされるか憂鬱になってぼーっとしてると、すこし落ち着いてきて解決策が浮かんできてやっていく。そういう感じてずっと生きてるなと思う。疲れるな。

通勤定期を地下鉄からJRに切り替えた。一ヶ月の定期代はJRの方が高いのだけど、半年にすると安くなる。不思議だ。JR になるとパスモからモバイルSuicaに切り替えられて、持ち物が一つ減るという利点もある。そうかな、財布に入れてるから結局減らないな。

ルーターは乾かして翌日に電源を入れたら動いたのでよかった。

サンドイッチ弁当

f:id:futura_C:20190611211727j:plain

サンドイッチ弁当は良い。サンドイッチはパンで挟むだけと思いきやバターを塗ったり具を刻んだり意外とめんどくさいが、しかし良い。冷たいままで美味しいので、食べるときに電子レンジを使わなくていいし、ラップで包んでジップロックに入れていけば空箱もでない。電車で潰されないように気をつける必要がある。そして何より美味しい。

外に机と椅子が雑に出してある店で飲むなどした。日本は夏は暑くて冬は寒いので、外でこうして飲める時期はとても限られているなと思った。東南アジアなどいくと、壁がほとんどなくて天井だけの店とか割とあって、気候の違いを思い知らされる。

バジルの水やりは忘れなかった。

何日か前にアイスモナカを買ったのだがいまいち食べる気がしなくて冷凍庫に入れっぱなしで、これこのままになって忘れてしまうぞと思ったので半分に割って半分だけ食べた。

梅シロップを作っている。一日一回瓶をゆすれとのことなのでひっくり返して念入りに揺すっていたら、瓶は完全密封ではないらしく、シロップがたれてきてまじかーと思った。梅酒とか作ると内圧が上がるから完全密封ではないのかもしれない。わからないな。

バジルを育てる

f:id:futura_C:20190503090602j:plain

週末にバジルの苗を100円で買った。もうすでに何枚も葉が付いていて、フレッシュバジルはスーパーで買うと高いのでこれだけでもう100円以上の価値があるなと思った。その日からずっと雨で、水やりをする必要がなくて、このまま水やりを忘れてしまいそうで怖い。

オーシャンズ8がアマゾンのレンタルで100円だったので借りて見た。人々が目的に向かって着々と準備する感じが良かった。わたしの生活に足りないものだと思った。

天狗酒場のランチで唐揚げ定食が500円なのコスパ異常だなと思う。そこらで売ってる唐揚げ弁当が500円以上するのに。しかもご飯味噌汁おかわり自由である。すごい。いいのか? デフレでは? 適正な賃金が支払われていないのでは?

しばらく連絡を取っていない友達に、久しぶりに連絡してみようかと度々思うのだけど、連絡したことはない。毎週、古い友達に連絡を取るというルールを設けてやっていったら良さそうだなと思ってるけど、やったことはない。宣言することは強力なので、ここに書いてみた。

バジルがたくさんできたらマルゲリータを作ろう。先日居酒屋でマルゲリータ頼んだつもりがマルガリータ(カクテル)が出てきて困ったということがあった。でも明らかにわたしが言い間違えたのでなにも言わずに飲んだ。

写真を撮ることの奇妙さ

会社にカメラを持っていって、昼休みに散歩しながら写真を撮ったりする。写真を撮るという行為は奇妙な行動だなと思う。昼休みにカメラを持って外に出る姿もまた奇妙な気がするので、そそくさと目立たないように出ていく。街でカメラを構える所作もまた奇妙だ。歩くということはどこかに向かって歩いている。とくに通勤時間帯やオフィス街では、目的もなく散歩している人は少なく、流れが形成されている。その中で突然立ち止まって、カメラなり iPhone なりを取り出して構えるというのはなんだか変な感じがしてしまう。違和感のある淀み。写真も映画も、それを撮影している人がいるということを考えると不可解な気持ちになる。わたしはカフェに行くのが好きで、その理由の一つに立ち止まりたいからというのがあって、日常でも歩行でも、やはり立ち止まることは難しいのだ。写真もまた立ち止まるために撮っているのだろうと思う。

無気力がすごい

なんだか無気力がすごいぞ。無気力が充溢している。なにもしたくなさすぎる。しかしよくよく考えてみれば、無気力だろうが有気力(?)だろうが作業量はそんなに変わらないので最初から最後まで心の問題だ。いやこれもまだましなほうだから言えることで、無気力であってもぶっ倒れていないし生活できているのでつまり大した問題ではないのだろう。いつぶっ倒れるのかは予測できない。

時間を無駄にしたくないという強い気持ちがある。例えばわたしは通勤中に本を読んでいるのだが、だから家に帰ってくつろいでいるときは通勤中にできないことをしようという気持ちになり本を読まないでゲームをしたりする。これってどうなんだろう。無気力なのでゲームをやる気持ちがなくなってしまっているので普段と違う形で過ごそうと思う。ぼんやりと音楽を聞いたり、コードを書いたりだ。

spotify から三ヶ月で1000円のクーポンが届いていたのでまた契約した。サジェスト機能の精度に驚く。

夏になると睡眠時間が短くなる。これは毎年のことなのだけど、今年は極端で、2時に寝て5時に目が覚めたりする。ちょっとそれは死を感じるのでまた寝る。

日々が在る

日々が在ると感じる。生活という即自、無限の密度をもつ必要性に満たされたものが在る。

さらざんまいというアニメがおもしろい。テーマはつながりとか欲望とかそういったもので、テーマにむかってストレートに突き進む表現がすごい。偏執的な欲望を持った者に「欲望か愛か」と問うシーンが毎回ある。しかし果たして自己自身を振り返ってみて、そんな明確で明瞭な欲望をもっているだろうか。

また強い無力感がやってくる時期になっている。しかし問題はない、必要なことというのはまさに山ほどある。平日においては労働が、休日においては生活がある。必要なことをやっていればいつのまにか終わっている。早く終わらないかなとわたしはいつも思っている。

欲望ってなんだっけって感じだ。仮に真の欲望というものがあるならば、それを自覚し、それに向かって行動することはとても大変だ。具体的には洗い物を早く終わらせたり、早起きしたりして時間をつくらなといけない。めんどくさいな。そして真の欲望というものがあるならば、偽の欲望というものもあるだろう。資本主義は欲望によって駆動している。私たちがより良いものやより新しいものを欲し続けなければ停滞してしまう。だからわたしたちは様々な欲望を植え付けられている。それは労働の合間のわずかな時間と搾取されなかった労働の価値(給料)でちょうどまかなえるか、すこし足りないくらいに設定されている。

わたしはそういった何者かに植え付けられた欲望をたくさん感じる。なぜほしいのかわからないし、手に入れたあともなぜほしかったのかわからないものがたくさんある。その欲望はわたしなのだろうか。

さらざんまいでは、死してなお欲望の虜である者をカパゾンビと呼ぶ。しかし外的なイデオロギーによって喚起されたのではない欲望を保持し続けている彼らをわたしはうらやましいと感じる。

生きるとは何だろうと若いころの私は思った。生きるとは生活なのだなと、もう少し年をとってから思った。では生活となんだろう? 捕らえ所のないものだろうか。とんでもない。生活は存在する。石ころが、その存在を現れと本質に二分できないように、生活もまた存在する。生活に本質はない。無限の存在密度をもってただ存在している。

その生活を支えていると、わたしもまた現れも本質も欲望もなく、ただ必要性の存在になってしまうような気がする。即自存在を存在減圧するのが人間の無化する能力ならば、生活を減圧するのもまた人間固有の能力なのだろうと思う。生活を無化するもの、在るべき姿を想定し、欠如を認識し、欠如者である不安をうけいれるということ、減圧された生活は、超越し、超越にむかって進むから、不安だ。欲望、欲望を手放すな。

毎日持ち歩いているもの

毎日必ず持ち歩くものはいろいろあって減ってきた。

財布 - elephant wallet

財布はちょくちょく変えるのだけど、結局これに戻ってくる。コンパクトでよい。小銭は持たない。募金しろ。

メモ帳 - コクヨ測量野帳

10冊セットをロハコで買うと安くてよい。ロハコはアスクルなので、会社の経費でこっそり買うこともできる。もう50冊くらい使ったかな。メモ帳もやはりたまに別のやつに変えてまた野帳に戻ってくるということをやる。

イヤホン - Air Pods

一万六千円? たけえよ! と思っていたが労働を始めた勢いで買った。結果とても良い。

ボールペン - Sarasa

高い金属軸ボールペンよりも100円のプラボールペンのほうが精度も書き心地も良いのが謎だ。これ以上を求めると万年筆一択となる。顔料インクは良いものだ。

できれば持ち歩きたくない。

iPhone