勇気とか

漠然と何かをやりたいとおもう。わりといつもそう思っている気がする。なんとなく、恒常的な無力感があるのはなぜだろうか。なにをやってもなにもやり遂げられないというふうな感覚がある。そんなにたくさん挫折してきた訳というふうでもないのに。こういうとき、もしかするとわたしは幼少期に無力感によってコントロールされていたのかもしれないなとおもう。思えば父も母も自己肯定感の低い人間であり、世界を恨んでいたように感じる。明白にそのような態度を表すわけではなかったが、そういう鬱屈さの反動としてのこういがわたしにしわ寄せられていたような気もする。今になって振り返ってみるとそういう気がする。

まあ、記憶は改ざんされるもので、ただ単にわたしの現在のつらさの説明としてそういう物語を捏造しているという面もたしかにあるだろう。

大人になると、大人になるということはどういうことなのかわからないが、便宜上こういう表現をする、大人になると、勇気を出す機会がが減る。そんな気がする。わたしは中学生や高校生の頃よりも今のほうが生きやすい。あの頃はもっとつらかった。名付けようのない感情と絶望と、逃げ場のない社会があった。

大人になるとずいぶん楽になった。生活もなんとかこなせるようになった。そうするとあまり日々に勇気をだすような機会がへっているかもなとおもった。勇気を出すというのはひとによって異なるだろう。ある人にとっては一人で焼肉に行くことであり、ある人にとっては誰かを誘って焼肉に行くことだろう。

今日の労働がおわり、カフェに行きたい気持ちで、ちょうどカフェがあったので、少し迷った挙句に通りすぎて、少し歩いたところで、だめじゃない? とおもって引き返してそのカフェに行った。新しいものを避ける癖がついてるし、惰性に任せる癖がついてる。

夕飯は魚を焼いた。冷凍庫に干物がはいっていると良い。魚がどんどん好きになっていく。