課金した

Helmet by chu fujimura on 500px.com

お金を払う意味で「課金した」という言葉を使うのはおそらく誤用だろうが、すでに十分に普及してしまった。こういう言葉はたくさんあって、誤用が広まってしまったものも、広まりつつあるものも、紛らわしいのでわたしはなるべく使わないようにしている。たとえば「確信犯」とかもそうだ。

「課金した」という言い回しのシンプルさは魅力的であるとおもう。フリーミアムが当たり前になった世の中で、課金することは決意であったり愛であったり妥協であったりする。金を払う行為のなかに含まれる様々な感情が端的に現れている。八百屋でキャベツを買う時に、課金したとは言わない。あるいは、特別な日に成城石井でキャベツを買う時は課金したというのかもしれない。

わたしが最近した課金というと、マニーフォワードという家計管理のサービスだ。これはもう何年かだらだら使いつつ、そんな自動管理で誰とも知らない人に家計情報を渡したくないとおもって使うのをやめた時期もあったけど、結局わたしには自力で家計を管理するのは無理だとおもって課金した。いつもなんとなく金がないという気持ちで生きている。働き始めてからは、いちおう黒字でやっていってはいるのに。月額480円。500円のコーヒーを飲むのに、今月いくらつかったっけと悩むくらいなら480円はらったほうがいいのかもしれないとおもった。この思考は論理的なのだろうか。

「課金」の「カキン」という語感が金を払ってるっぽくもある。