日常的思考

日常は繰り返しだ。10代のころ私は、日常が繰り返されることをとても嫌った。日常が繰り返されるものであるという事への反抗としてよく学校をさぼっていた。

大人になってみると、日常は極めて忙しく、繰り返すことがもっとも効率的であり最適解であることがわかった。日常をいかにして繰り返してこなし、余暇の時間をつくるかということに執心している。

日常が繰り返されることの弊害は思考のパターンが制約されることだ。決まった時間に決まった場所で決まったことをしていると、似たようなことしか考えなくなる。それはそれは恐ろしいことで、単純に新しいものとの出会いがなくなるし、同じ事を何度も何度も何度も何度も考えることで一人エコーチェンバーみたいになって、その思考がどんどん強化され、ゆがんでいき、危険な状態へと至る。

旅行は、それが些細なものであっても、日常から身を引き離す。旅行中の、とくに退屈な時間というのはいつもと違うことを考えるし、それは新たな発見がある。そういった発見が無意識的に積み重なり、人生の決断のようなものへと発展していくのではないかと思っている。例えばちょっと数日実家に帰るだけでも、いつもと違うことを考えられて楽しいと感じる。そのためになるべくノートやキーボードを持ち歩くようにしている。

日常から離れるための旅行の条件としてはやはり泊まりであるべきだろう。日帰りはあまりにせわしない。そしてなるべく退屈であったほうがいい。楽しいことが目白押しで、宿に帰ったらすぐに寝るみたいな弾丸的な旅行はよくない。わたしは東南アジアとかで比較的安くて清潔なホテルを一週間ほどとって、だらだらするのが好きだ。まあいまはそういうことはなかなかできない。近場で、一泊二日の旅行とかをもうちょっと細かくしたほうがいいのかもしれない。いかにして日常から逃れるかを考えて生活していきたい。