幸福について

ツイッターめっちゃ見てる。というかiPhoneがそれ以外に使っていない感じがある。でも見てるだけあんまりポストはしてなくて、なんというか、断片的な言葉をぽつりぽつりと投げていくというのに飽きた感じがある。ブログで500文字くらいだらっと書くのが良いなと思う。だらっと。今のTwitterの仕様がすごく連投しにくいというのもあるのかもしれない。なんとなく使いにくい。

だらっとではなく書きたいこともあるのだけど、なんだかめんどくさくてまあいいやとなってしまう。

幸福について考える。私も若い時分はつまらない大人になりたくないなどと思っていたが、結局どうなっただろうか。しかしかなりいい歳になっても拗らせている人はたくさんいるし、つまらない大人ではないことを証明しようとして、なんだか致命的なやらかしをする人もたくさんいるなあとも感じる。現代の日本において人並みに幸福になることは難しいのかもしれない。少なくとも私やの世代やもっと若い世代はそう考えているんじゃないかなと思う。そんな中で、ひとりのつまらない大人であるという類の幸福を受け入れられるのは、自意識や拗らせを乗り越えた一部の人間にしか到達できない場所なのかもしれないと思う。しかし、やはり、みんな、何もかも諦めて受け入れたような顔をしながら、虎視眈々と何かを狙っているのだ。そして不意にやってくるチャンスに飛びつくが、そういう気持ちをうまいこと救ってにんじんをぶら下げる詐欺師はいつでもどこにでもいるもので、それゆえに身を滅ぼす。何をすべきなのかはやはりわからない。私は退屈な大人になり、少なくとも今はその退屈さを受け入れる程度に幸福で、それは幸運なことなのだなと思う。