救いとしての日記

日記をつけると自分の思考が整理できて人生について深く考えられ、生活がどんどんよくなっていくというふうな記事や本がよくある。ちゃんちゃらおかしいなと思う。わたしはそりゃ毎日つけているわけではないが、曲がりなりにももう十年以上日記をつけているが、鬱々とした不安な毎日を送っている。くそったれだ。このブログだってなんだかんだで何年か続けているが、やはりべつにこれによって生活が向上したりはしない。

たった10分の運動でみるみる痩せるみたいなダイエット広告と同じで、運動を継続できない人が運動に過度の期待を持つように、日記を継続できない人が日記に過度の期待を持っている。いや、期待を持っているという表現は多分間違っていて、自分が持っていないものに関しては未知だから、未知ゆえに漠然とした期待を持っていて、それにつけ込んでその期待を膨らませるような記事や本がよく売れるのだろう。

日記に、生活や能力を向上させる力などない。

エコーチェンバーという言葉があるが、日記はいわば究極のエコーチェンバーだ。何せ自分しかいない。自分で自分の言葉を何度も何度も繰り返しているうちに、自己は歪に強化され、ゆっくりと狂っていく。

あと、文章力とかも上がらない。私たちが毎日通勤通学で歩いたり階段を登ったりしてもムキムキマッチョにはならないように、能力というのは限界付近でトレーニングしないと向上しない。日記やらブログやらでクソのような文章をクソのようにひり出したところで、文章力はつかない。クソが残るだけだ。

とにかく日記なんてものは人生の時間の無駄なのでやるべきではない。