来る

映画「来る」を見た。伊集院がラジオで前に喋っていて、おもしろい構成の映画だとか言っていた気がするが、なるほど確かに野心的な作品であった。ネタバレ? ネタバレするかも。いや野心的な作品だからこそ前情報なしで見たほうがいいのだろう。でも別に見るべき映画ではない。

ホラー映画の文脈というのがよく分からない。ホラー映画の文法とか、文脈とかを借用して実質怪獣映画みたいな、そういう手法が一般的になってきている気がする。ジャンルそのものがパロディになりつつあるというか、ここらへんがうまく自分でも把握することができないので、誰か詳しい人にホラー映画の変遷とか手法について体系的に解説してほしいという気持ちになる。

「来る」は、なるほど確かに良くできた映画だったのだけど、特に観た後に残るものがないなと感じた。エンターテイメントとしてそれは正解なのかもしれないが、物足りないと感じてしまう。テーマとして親のエゴが取り上げられていたのだけど、それも何か主張したいものがあるわけではなく、テーマもまた一つの舞台装置で、親のエゴによって生じた事件が親のエゴによって解決されるという趣意返し的な構造のためだけにテーマが存在していたように思う。

観終わった後に、なぜかそのまま「逃げ恥」の一話を観始めたんだけど、そうやってすぐに別の作品を観られるのも心に残るもののなさ故にという感じがする。なんかdisってるっぽいな。いや面白かったよ。

最近やったゲームでいうと、「フィンチ家の屋敷で起きた奇妙なこと」というゲームが面白くて、あれは終わった後に少なくともその日は別のゲームをやる気が起きなくて、あれはなんだったんだろうと思い返しながら眠りについた。そういう余韻のようなものが欲しい。

今日も支離が滅裂した日記を書いてしまった。別にわたしの日常を書くのなら滅裂していていいのだけど、特定の作品についてあまりにも雑に語るとその作品への敬意を欠いているような気がしてしまってよくないな。でもせっかく書いたから公開してしまおう。