「悪童日記」感想

アゴタ・クリストフの「悪童日記」を読んだ。kindle でセールしていたので。 感想などをなんとなく書いていきます。

作中では明言されないが、第二次大戦末期から戦後にかけてのハンガリーが舞台である。 主人公は双子の男の子。都会から田舎の祖母の家に疎開し、様々な問題にぶつかりながらも力強く生きていくという感じだ。

物語は、双子によって書かれた日記という体になっている。そして日記には彼ら自身が決めたルールがある。

ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない

このルールによって書かれたこの物語は、無機質で淡々とした印象をもつ。そして事実のみで記述される双子の行為、成長は、読み進めるほど恐ろしさを増していく。

この事実のみを書くという行為は、戦争におけるロマンや物語性と相反するものだなとおもった。それらは主に戦争に人を駆り立てるために使われる。 去年大ヒットした「この世界の片隅に」で、玉音放送の直後にすずさんが嗚咽するシーンがある。たくましく生きるすずさんも戦争の物語に支えれていたという驚きがあり、そして物語がなくなったあとも変わらず続く日常を生きていく後のシーンに繋がっていく。 これとは対照的に悪童日記の双子は、戦争そのものに何も見ていないように感じる。戦争が作り出したこの状況を生き抜くことを常に考えている。 二人はお互いを鍛え合うことによって、肉体的精神的苦痛に堪えられるように訓練している。

こんな練習をしばらく続けて、ぼくらはほんとうに、何も感じなくなる。痛みを感じるのは、誰か別人だ。

いく度も繰り返されて、言葉は少しずつ意味を失い、言葉のもたらす痛みも和らぐ。

痛みや意味や物語を拒絶していくこと、事実のみを見つめること、それらを自分の意思で選び取り、訓練し、体得し、実行する。 まあ、なんだ、そういう感じが良かった。

ラストシーンについても書こう。いやネタバレになるのは嫌なので具体的には書かない。ラストは唐突にやってくる。突き放すように終わる。 わたしはそういう終わり方は結構好きで、そのような選択をした二人の心情について考えたり、その後について考えたりする。終わりが唐突なぶん、こちらが勝手に考える余地があって楽しくもある。 どっこいこれは続編があってしかも3部作であるという、さっきの余韻はなんだったんだという気持ちになった。続編はまだ読んでいない。

何気なく検索していたら映画化もされていて、しかも Netflix で見れた。映画でもやはり日記のルールが宣言され、そのように作られていた。原作に敬意を払った誠実な作品であると感じた。それはつまり退屈であるということでもあるのだけど。

ハンガリーの町並みなどは、私は想像できないので映像でやってくれるのはとてもよい。また役者の演技によって付け加えられるもの、そういったものも、過剰ではなく、しかし彼らの人間性を伝えていてよかった。