物語が足りない話

なんか物語が足りていないなと思って積んでいたオクトパストラベラーをやり始めたりした。生活には物語性がない。皿を洗ったり、洗濯物を干したりするのは場当たり的というか、刹那的というか、必要性しかない。例えば掃除が最たるものかと思うけど、それをやったところでまた汚れてまた掃除しなくてはならない。どこにもつながらず、また戻ってくる繰り返しの行為という感じがする。

私は労働においてもほとんど話をしないので、ある程度まとまった物語というか、論理というか、文章は本でしか摂取できない。Twitterの無秩序さと対比的に、出版された本というのはちゃんとした文章の書ける人がちゃんと推敲してちゃんと編集された文章がまとまっている。その圧倒的な秩序には安心感を覚える。

ゲーム。どうぶつの森とか Overwatch とか Apex とかを最近やってるけど、あれらはオンラインによって発生するドラマを楽しむ側面が強くて、確かに楽しいけど私の欲している物語ではないなと思う。少し前に流行ったウォーキングシミュレーター、例えば Gone home とかが、つまりナラティブゲームと呼ばれるものが私の求める秩序ある物語なのだろうと思う。

本を読むこと、特に哲学や思想の本を読むことの面白さというのは、その思想そのものは置いといて、著者による鮮やかな論理展開というが楽しいというのがある。それもやはり秩序ある物語だ。仮定された前提の上で成り立っている架空のお話であるという点も含めて。

オクトパストラベラーをやってみてどう思ったかというと、レベル上げだるいなと思った。RPGにはストーリー展開という物語要素と、レベル上げという成長要素があり、物語要素を抽出したのがナラティブゲームで、成長要素抽出したのが、例えばマインクラフトとかなのではないかと思った。それぞれのゲームで、それぞれの楽しさが高純度で得られるから、純度の低い複合的な JRPG は衰退したのかもしれないと思った。