気が狂う

なんか先週くらいからブログを書こうと思って何かしら書き始めるんだけど1000字くらい書いてやっぱダメだってなってやめるみたいなことがよく起こってる。なんかちょっと真面目なこととかちゃんと考えて何か書こうとすると、こうやってなんとなく書いてくやり方ではダメっぽい。

でもそういうのは、ちゃんと頑張って書いて形にしたほうがいいと思うんだけど、わたしには根気がない。

日々が忙しく、いわゆる作業時間が一日1時間くらいしか取れない。その1時間くらいを一体何に使うのか、わたしは何をすべきなのかわからない。今はカントを読んでいるので、カントに結構時間を取られる。そのせいで今年に入ってから頑張って読んでいたマルクス関連の本が全然読めていない。

人生がもっとマシになるような何かしらのスキルのようなものを身につけるのに時間を割くべきなのだろうか。あるいは運動をすべきなのだろうか。一日一時間の作業時間だって、毎日ちゃんと取れるわけではなく、それは多忙のせいというよりも自制心と習慣の問題で、ちょっとぼーっとしたりゲームをしたりすると何もできなくなる。

それに伴って安らぎの時間というのもほとんど取れなくなっている。今年はコロナのせいでお出かけやらカフェに行くのやらもかなり不自由になるだろうと見込んで外遊びグッズを色々買ったのだが、結局長い梅雨からの灼熱の夏で外遊びも実質できていない。いやまじで、死みたいな世界じゃん、夏。

以前はストレスが溜まってきたら銭湯に行くなどをしていたのだが、それもままならない。意外とダメージを受けている。といっても生活がままならなくなるほどではなく、じわじわって感じなのだが。

せめて日中の温度が30度くらいになってくれればまだやりようがあるのに、38度とかバカでしょう。

そんなこんなで気が狂いそうだったので今日はカフェに逃げてきた。最初に行ったスタバは時短営業だったので別のカフェにきた。でもこんな遅くまで店が営業しているべきではないとも思う。夜の避難所が欲しい気持ちもある。

生きているとどんどん不安になる。変化について考えるとき、わたしはまず失うものを数える。失ったとき初めて気づくというクソみたいなトラップも存在する。何もかもあほらしい。

一切に価値はないということについて考えると救われるような気持ちになる。何かに価値があるよりも何にも価値がないほうがずっといい。