道楽と必需

以前に友人と話していたら、彼曰く、道楽にしか金を使いたくないらしい。つまり服は趣味なので10万のコートとか買うけどカーテンは買わない、みたいな。なるほどなあと思った。と、同時に、私はむしろ必需品の方が金をつかやすいし、使うなと思った。

必需品を買うことは楽しい。まず必要だから買っているので躊躇いや罪悪感がない。そして必要だから買っているので、必ず使用する(はずである)。道楽品はなるほど心を豊かにするが、必需品は生活を実質的に向上させる。私は今日も必需品を求めてAmazonをさまよう。

道楽品を必需品と言い張って買うパターン、とは。

そもそも金を使うことになんとなく罪悪感がある。罪悪感というか、不安感、のようなものだ。「もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド」というゲームがあり、これは名作なので是非ともやってほしいのだけど、このゲームは金がすべてであり、パラメータは金だけである。金が体力であり、攻撃力であり、貨幣であり、人権である。よって金が尽きると主人公のチンクルは死ぬ。金を使うことの不安感はつまりこのゲームに端的に表されている。

あと私は教育の成果により、借金はよくないって思ってるんだけど、ここら辺も借金をうまく使える人とは金に対する認識の違いがあるのだろうなと思う。経営者、つまり資本家と話すと、労働者である私とはやはり金の認識が違うと感じる。私は金を、物と交換するためのものとして捉えている。それは貯めて減るものだ。なるべく貯めて、なるべく減らさないようにやっていっている。しかし彼らは金を、資本として捉えていて、それは回転させて利潤を得るみたいに考えているので、それが日常生活にも浸透しているなと感じる。

「ルッピーランド」は名作で、私たちの金への幻想を辛辣に表現していたが、それもやはり「貯めて減るもの」としての貨幣、「お小遣い」としての金であったのかなと思う。貨幣の恐ろしさは流動することによって商品を得られたり利益を得られたりすることなのだろう。