残酷さについて

母は残酷な話が嫌いだった。昔、トロッコ問題の話をしたとき、そんな残酷なことは想像もしたくないといわれ、そういう話ではないんだけどなとおもったことがある。

わたしも最近、残酷な話が苦手になってきている。特に子供が傷ついたり、犬が死んだりする話はきつい。子供というものを、残酷さを演出する装置のように扱う作品には怒りすら覚える。だからそういう作品からは自然と遠のいていく。メイドインアビスの劇場版がよくできているらしいが、あれも残酷な話なのでわたしはみないだろうと思う。これは主義とか主張とか思想ではなくて、純粋に感情の話で、残酷な作品は感情がつらくなる。感情の話なのでとくに作品を批判することもできないし、ただ距離をとることしかできない。

ここ一週間くらいは本を作ったりゲームをしたりで夜更かしをすることが多く、夜更かしすると起きるのが遅いのでバタバタと出かけていくという感じだったので、昨晩は10時に寝付いた。10時に寝ると自然と朝6時に目が覚める。8時間寝る生活をすると、7時間以下の睡眠が状態異常であったことに気づく。週休2日になると週休1日が異常であったことに気づいたろうし、週休3日になれば2日が異常であったし、労働をやめれば労働が異常であることに気づくだろうに。

朝ごはんになるものが何もなかったので、ミスドにきた。ミスドはモーニングセットで300円くらいでコーヒーとドーナツが買えるということを最近知った。

OVAヘルシングを見ている。よくできている。OVAというもの、もう現代ではなくなってしまったのだろうな、今はNetflixオリジナルアニメとかだ。ヘルシングはめちゃくちゃ好きで、何度も何度も読んだので今でもセリフをだいたい覚えてる、自分でもびっくりしている。ヘルシングを見ていて、残酷な話について思いついたのだった。