生活をちゃんとするとはなにか

生活はすぐに破綻する。気づけば本と服とゴミで床が見えなくなってしまう。掃除機を最後にかけたのはいつだったか。

生活をちゃんとするということはどういうことなのだろうか。私は生活をちゃんとしたい。ちゃんととはなにか。毎日掃除をしていればちゃんとなのだろうか。そうなのだろう。

丁寧な暮らし的な本を読むと、コンロを使ったついでにすぐに掃除しましょうなんてことが書かれている。無理だ。めんどくさすぎる。使った直後のコンロは熱くて掃除ができないし、冷める間で待っていたら忘れる。収支そんな感じで、めんどくさすぎる無理ということになってしまう。

丁寧な暮らしまでいかなくとも、ましな暮らしはしたい。ものの隙間にわずかに見える床を飛び石のように移動するのはストレスだからだ。まずめんどくさいという概念の上書きが必要なように思える。

キルケゴールが言うには、キリスト者はもっとも恐ろしいものを知っているが故にそれ以外をおそれない、とのこと。わたしももっともめんどくさいものを知れば、それ以外をめんどくさがらなくなるのかもしれない。

生活は難しい。