興味というもの

わたしは他人に興味がないのだろうかとかたまに思う。しかしそもそも一般的に人は人にどれくらいの興味をもつものなのだろうか。べつにどうでもいいんじゃないか。

こないだラジオを聴いていたらお一人様の本を書いたみたいなひとが出てて、一人でカラオケいったり焼肉いったりすることの本らしい。それについて、パーソナリティが、ひとりであそぶことの難しさみたいなことについて喋っていて、それはもしかすると一般的に人がどれくらい人に興味を抱くものなのかという指標なのかもしれない。

ところで一人焼肉というのは最高で、ベストのタイミングで肉を食える。肉との対話。

ラジオによると、遊ぶということは人を誘うのがデフォルトで、ひとりで遊びに行くのは例外的であるという感じだったのが驚いた。わたしはひとりであそぶのがデフォルトで、人を誘うのは例外だ。その遊びの事柄にとても興味がある友人がたまたまいれば、誘うこともある、くらいのことだ。そもそも興味があるかどうか微妙な事柄に人を誘うことが難しいし、そんなに多くのひとが興味を持つことにわたしが興味を持つかどうかもむずかしい。

統計学をちょっとやる必要がでてきたのでアマゾンで人気の統計の教科書を買った。たしか大学の単位は落としている。いかにも教科書然とした本を買うのはとても久しぶりだ。そんなにしっかり数式を追うでもなく雰囲気で読んでいるけどおもしろい。グラフをかいてみて、なんとなくここに傾向とか相関があるっぽい気がする〜というのをちゃんと評価するにはどうしたらいいかというものだ。

surface go がほしい気持ちになっている。パソコンなんてずっと欲しくなかったのだけど急に最近ほしくなっている。でも冷静になってみると別にいらない。冷静になるとあらゆるものがいらないし、生きる意味もない。

生きる意味がないことを幸運に思うべきだ。ということばを急に思いついた。

朝起きて、労働をして、帰ってきて、ぼーっとするか酒を飲むかゲームをするかして寝るという一連の中に行為的時間がない気がする。必要だからやっているという気がする。あらゆることが。ぼーっとするのもゲームするのもなんらかの必要性に駆られてやっている。不必要な物事を意思の元に引き寄せるというような行為がない。

まあ、べつにいいんだけど。自省的なことを考えるときはすぐに、まあべつになんでもいいんだけどと考えることでシリアスになりすぎるのを防ぐ。

家にお茶や水がないので喉が乾くと酒を飲んでしまうのダメな気がする。麦茶を作ろう。

人生において、麦茶を美味しく感じるタイミングとビールをおいしく感じるタイミングが一緒だった。

写真は昼に食べたアンチョビピザです。