書くべきことについて

『できる研究者の論文生産術』という本を最近TLでよく見かける。わたしもたしか持っていたなと思って、再読してみた。心理学者が書いたもので、どうすれば論文がたくさん書けるか、というかなぜ論文をたくさん書けないのかという著書にとって身近で深刻な問題について書いてある。答えはシンプルで、とにかく毎日決まった時間に書けというだけだ。良い本だと思う。邦訳のタイトルが悪い、これでは質の悪い自己啓発書のようだ。原題はたぶん『How to Write a Lot』で、こちらのほうがシンプルで良い。

わたしはべつに研究者でも作家でもライターでもないただの労働者なので、労働と生活を繰り返していればいいだけなのだが、なぜこういう本を買ってしまうのだろうか。書くべきことなどなにもないのに。偏執的であるとおもう。

生産への信仰というか崇拝のようなものがある。社会の構成員のほとんどは労働者であって、私たちは世界に残る物をつくりはしない。すぐさま消費されるものをつくって、そして他の労働者のつくったものを消費して暮らしている。それが幸せだと思っているし、それ以外の幸せをしらない。そして同時に製作者への憧れをもっており、わたしの仕事は消費し消費される労働ではなく、世界に残る物の製作なのだと信じたがっている。

しかしまあ、確かに頭がおかしくなりそうだよなと思う。すべてが消費によって回っている。労働によって作られるものはすべて、それそのものでは何の意味もなくて、消費するされるのサイクルに入るとき、その運動の過程で初めて意味がある。だから、それそのもので意味のあるものを作りたい。製作者への憧れというのはつまりそういうことなのだろう。

つまりやっぱり、なにかを書くべきなのだ。