労働への適応

月曜日。月曜日だけは月曜日だと強く意識せざるを得ない。アマゾンでレンタルしていた犬ヶ島の期限が今日までだったので通気中にみようと思ったけど端末へのダウンロードを失敗していて結局期限切れになってしまった。レンタル期間30日もあればさすがに観るだろというのは奢りである。先延ばし力。アマゾンのレンタルは便利で、もうだれもレンタルショップとか利用しないんじゃないかとすら思ってしまう。

犬ヶ島と一緒にあと二本借りていて、犬ヶ島が一番観たかったのだけど、おいしいものを最後にとっておいたら結局たべられなかったみたいなことになった。

差別。差別的な気持ちというのはだれしもあるものだし、素性のばれないネットとかでそういう攻撃的なことを言うのはまだ理解できるというか、納得感がある。しかしネットではない公共の場でそういうことをいうというのはちょっとよくわからない。それでもたまにふとした拍子にそういう差別的言動に出くわしてびっくりしてしまう。

労働は向いてないなとおもう。わたしは割と恵まれているとおもっていて、そんなにきつい労働をしていない。労働を信仰し、実存と労働が癒着してしまったひとがたくさんいるので、あまりこういうことは言わない。おこられるから。それでもわたしは労働がすごくいやだなと思うので労働は向いていないのだと思う。好きなこと仕事にする、とかなったらまた違うのだろうかとかたまに思う。よくわからない。でも楽しいことをやっているときも、常に心のどこかにはめんどくさいなということを考えているので、詰まるところ生きることのめんどくささみたいのが起因しているのかもしれない。適応とはなんだろう。みんなが本当のところなにを考えているかわからないし、なにを考えているか性格の記述することもでできないので結局のところわからない。