壊れていくもの

かつては、アップルの発表といえばみんなでツイッターで実況しながら明け方まで見ていたものだが、今となっては見る影もない。というのはあくまでわたしのはなしで、今でもやはりワクワクさている人はいるのだろう多分。ワクワクは良い。

なんとなく新しいパソコンやタブレットもそんなにいらないなという気持ちにここ数年なっている。今使っているものを壊れるまで使いたい。壊れないでほしい。

ガジェットは消耗し、壊れていくばかりなのが悲しい。まあ大体のものはそうなのだが。あまり詳しくないが、例えば器とかは年を経るごとに良くなっていくのだろうか。どうだろう。

消耗していくことは悲しい。例えばテフロンのフライパンだ。テフロンのフライパンは一年かそこらでコーティングがダメになってしまい、買い換える羽目になる。このアルミの塊をゴミに出して、どう処理されるのかわたしは知らない。フライパンをゴミに出す時、悲しい気持ちになる。鉄のフライパンはダメにならない。コーティングがないから。何年か前に鉄のフライパンを買ったが、今でも問題なく使える。焦げ付いても金束子でゴシゴシ洗える。こういうものを生活の中に取り入れていきたい。

スニーカーもすぐにダメになる。先日、スニーカーに穴が空いてることに気づいた。スニーカーの穴に気づくのは決まって雨の日だ。足がぐしょぐしょになるから。頑丈で靴底を取り替えられるブーツとかにすれば、長く何年も履けるのかもしれない。しかしまたスニーカーを買ってしまった。お金ないし。