ゲームのストレスデザインの話、Dead by Daylight

デッドバイデイライトというゲームを最近やっている。以前にセールで買って、そのまま放置してたけど、最近またやり始めておもしろいということに気づいた。そもそもホラーっぽい雰囲気が苦手だからやってなかった。

生存者4人のチーム対殺人鬼1人という構図で、逃げ切れば生存者の勝ち、全員殺せば殺人鬼の勝ちという鬼ごっこをする。

ところで昨今のオンライン対戦ゲームにはほぼ必ずランクというものが存在し、それはプレイヤーの腕前の数値化であり、同じくらいのランクの人がマッチングするようになっている。大体どんなゲームでもそうなっている。自然と、自分のランクを上げることが、オンライン対戦の大きな目的の一つとなる。ランクが上がれば嬉しいし、下がるとつらい。

ランクは、まあ当たり前だが勝敗で決定する。勝てば上がるし負ければ下がる。それはシンプルでわかりやすいのだが、弊害もあり、たとえばスプラトゥーンオーバーウォッチなどのチーム戦のゲームだと、仲間が弱ければ自分がどんなに頑張っても負ける。そうすると、事実はどうあれ仲間がクソだったから負けたという気持ちがのこり、ストレスが溜まり、そういったゲームは「仲間ガチャ」と揶揄されたりする。まあ、冷静に考えれば仲間はランダムで選ばれているので、誰しも同じ条件なので、対戦を繰り返せば収束していって実力のランクに収まるはずなのだが。

仲間ガチャ問題を抜きにしても、勝ってランクを上げるというのはつらいものがある。勝ち越さなければいけないからだ。10回やったら6回勝たなければならない。負けるたびにじわじわとランクが削られていくのはすごいストレスだし、これはやった人しかわからない。オーバーウォッチでは、ランクの数値がくるくるとカウントアップしていく演出があるのだが、負けた時はカウントダウンの演出はなく、下がった後の現在のランク数値がそっと表示されるだけになっている。ここら辺も、自分のランクが下がっていくのを見せつけられるのはつらいという配慮なのだろうと思う。

こんなにストレスフルなランクだが、上がればすごい嬉しいのでモチベーションになるし、そもそも同じくらいの上手さの人と対戦しないとつまらないのでマッチングのためにどうしても必要なので、まあなくすことはできない。

というランクの話を一通りしたところでデッドバイデイライトの話に戻すが、このゲームのもランクがもちろんあるが、勝敗で評価されない。評価の対象は勝利への貢献度で、具体的には発電機をどれくらい直した(脱出のためにまず発電機を直す必要がある)とか、殺人鬼からたくさん逃げ回ったとか、仲間を助けたとかで評価されてランクが上下する。そられは勝つために必要な要素なのだが、最終的に負けてしまっても、たくさん貢献していればランクは上がったりする。

この方式はストレスがなくてとても良いなと思う。仲間がクソでも、頑張って助けて、できるだけ発電機を直せば良い。そして自分がクソでも同様だ。まあわたしが低ランクなので、もっとランクが上がるとまた別の様相を呈してくるのかもしれないけれど。

あと、このゲームは難しいので基本的に負ける。殺人鬼に見つかるとまず逃げ切ることはできず、時間を稼ぐことしかできない。この基本的に負けるというのも良い。負けて当たり前、勝ってラッキー、負けても仕方ない、負けてもストレスがあまりない。これは生存者 vs 殺人鬼という非対称性によって成り立っている。

負けて当たり前というデザインは、数年前から流行っているバトルロワイヤル系のゲームもそうだ。あれもプレイヤーが100人いて、勝てる(生き残る)のは1人だ(まあ実際はチームでやることが多いけど)。99人は負けるので、大体負ける。負けて当たり前だし、勝って最後の1人になれた時の嬉しさはすごい。あれも負けることをストレスにしないデザインなのだと思う。

オンライン対戦ゲーム、特にFPSとかは敗北の大きなストレスと勝利の多幸感というのが中毒性の一つの要素だったのかもしれないと思う。イライラしてコントローラを投げつけるというのはよくある話だ。でも最近はランクの評価システムや、ルールの非対称性によって負けのストレスを抑制するというゲームが結構出ていて、これからはそういう時代になっていくのだと思う。