ゲームが上手いということ、正しい選択をするということ

ゲームが上手い、ということはものすごいテクニックを持ってるということではなくて、ミスが少ない、ということなのかもしれないと思った。あと相手のミスを見逃さない。

ゲームをしていると無数の決断を迫られる、戻るか進むか、攻撃か防御か、Aを攻撃するかBを攻撃するか、そういった無数の決断で、いかに正解を選び取っていくか、その正解率がゲームの強さなのだろう。

「技」は華々しい。フィギュアスケートや体操の選手が超人的な技を次々と繰り出すのは圧倒される。しかしそういう、純粋な技術比べの闘いはあまりないんじゃないか。むしろ将棋のような、無数の選択肢の中から最善の一手を選び続けて、ミスった方が負ける、というゲームの方が多い気がする。

将棋やポーカーは決断行為がある程度抽象化されている。決断は、どこに駒を置くか、あるいはベットするか降りるかという限られたタイミング、選択肢によって行われる。テレビゲームにおいては、それはもっとリアルタイムで流動的に不定形に行われる。

期待値の高い選択肢を取り続けることによる収束の差が、勝率やレートになって現れる。

そしてこれはゲームに限らず生活でもそうなのだろうなと思う。生活においても、無数の決断がある。ゲームとは現実の抽象化であるので、生活においては抽象されていないむき出しの現実がそこにあり、それに向かって決断していかなくてはならない。やはりここでもなるべく正解を、期待値の高い選択肢を選ぶ必要がある。それが強さだ。難しいのは正解とは何かをまず定義しなくてはいけなくて、そして自分が選んだ選択肢の評価方法も何か考えなくてはいけない。

そして決断の結果は跳ね返ってくる。それは即物的にはお金なのかもしれないし、幸せとか、メンタルヘルスとかなのかもしれない。

正しい選択をしていきたい