「新しいゲーム」がしたい

アサシンクリードオリジンズを買った。既視感を感じる。よくできていて面白いゲームなのだが、よくあるゲームだなとも思う。オープンワールドで、レベル制で、スキルを取得して、武器には特殊効果がついていて、素材を集めて、クエストをこなす、そういうゲーム。オープンワールドと、従来のアクションゲームとRPGのいいとこどりをしたゲームシステムは、ゲームの一つの到達点というか回答なんだろうなと思う。面白い、しかしよくあるゲームだ。

いやいや当時は革新的だったんだよ的なツッコミもあるのかもな、まあそういう歴史的価値は今回の本題ではなく、私はゲームにおいて「新しさ」を求めてるなと思った。

ゲームというメディアの消費方法である「プレイ」は他のメディアの消費と比べてインタラクションが強い。さらにゲームは文化として歴史が浅いというものあって、ゲーム体験は日々進化している。というようなウンチクっぽいものを書いてみたが特に続かないな。やり直そう。

「新しいゲーム」がしたいんだよ、素朴に。新しい体験、新しいインタラクション、新しい感覚が欲しい。ああこれはやったことある、わかるわかる、というのはもういいんだ。アサシンクリードオリジンズはいわば換骨奪胎で、ある程度ゲームをやっている人からすればすぐにシステムを飲み込める。なるほどこのシステムはあのゲームのアレみたいなもんか、みたいに。それは逆にいうとシステム的な煩雑さが少なくて、アサシンクリードの主要な面白さを効率的に受け取れるのかもしれない、それが何なのかはとりあえずおいとくとしても。そういうのは私はもう求めていない。

私がソシャゲ(と呼ぶのかわからないけどガチャのモバイルゲーム)をやらないのもそうで、あれらはガチャを中心としたエコシステムのようなものが出来上がっていて、それにガワを被せているだけという感じがする。いやこれはやらない人間の偏見に満ちた感想なので、それらにも色々な独自性や新しい体験があるのかもしれない。ガチャというものが中毒性と収益性を兼ね備えた画期的な発明であり、そこにコンテンツ力のあるガワを被せていく、詰まるところあれらのゲームにはガチャ体験しかない。あと推しという体験。ちなみに私は推しという概念も理解できない。

うっ、偏見が、偏見が漏れてしまった。

去年で言うと、SEKIROとデスストランディングがやはり良かった。両方とも、何じゃこりゃって感じのゲームだった。新しくて、今まで感じたことのない感情が得られた。

新しいって何だ?って今考えてたけどよくわからないな。あるんだよな、ゲームをやっていて、新しいなって思うことが、こういう面白さ、知らなかったなって思うことが。そういう発見のようなものをゲームに求めていて、「ゲームをプレイする」というこの特殊な消費方法は、体験の更新が可能で、新しい体験を生成できるんじゃないかと思っているし、新しい体験を作っていかないとゲームはダメなんじゃないかとも思っている。いやべつに私は完全に受け手なんだけど。まあそんな感じでこれからも面白いゲームが作られていくんだろうなと期待している。

それはそれとしてアサシンクリードは面白いのでやります。