あめのひのしにたさ

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雨の日はしにたくなる。みんなそうだ。たまの曲に「日曜日に雨」というのがあって、憂鬱なのは日曜日が雨だからだというふうな歌詞なのだが、特に深く考えずに確かにーと納得してしまう。もしかすると日曜日が雨でるということになにか本当の憂鬱を隠しているのかもしれない。

lain というアニメがある。もはや説明はいらないだろう。きょうふと思い立って Spotifylain の OP 曲を検索したらあったので聴いている。BôA というイギリスのバンドだ。アルバムを CD で持っている。暗い感じの曲ばかり歌うなという印象だったが、歌詞をみてみるとメンヘラっぽくてよかった。

プロメアを7月1日に観にいこうと決めた。決めただけでチケットなどはとっていない。映画くらいひょいと行けばいいのにな。

あとは、だるいとか、しにたいとか、そういう言葉しか浮かんでこないのでもう今日は終わりにしよう。

モーニング

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最近は調べ物にはまっている。買いもしないパソコンや財布などについて散々調べて、結局買わないというものだ。1日1時間か2時間くらいそういう詮無い調べ物に費やしている。 調べ物をしていると、文房具マニアや、バッグ狂いや、カメラ好きや、ミニマリストなど、そういうその道のひとたちのブログをよむことが多いのだが、まあこう言っちゃなんだが、めんどくさい人たちだなとおもう。

労働がおわって家に帰ってきて、生活のもろもろをやって、余暇の時間はずっと iPhone で調べ物してるみたいなことがある。かつてはパソコンというものは時間を食いつぶすもので、なるべくパソコンから離れる日を作ろうみたいな感じもあったけど、スマホという究極の消費端末が出てきた今、パソコンはむしろ生産のためという色合いが強くなり、一日一回はマックブック開こうみたいな意識も芽生える。おそろしい。

特に日々に充実は感じないが、たまに虚無感がとても強くなる時があり、最近がそれだ。この話したっけ? ともあれそういうわけでなにか楽しみをあれしようと思って早起きしてモーニングを食べに行った、今日。外で朝ごはんをたべるのが好きだ。そもそも食事のなかで朝ごはんが一番好きかもしれない。しかし朝は時間がなくてちゃんとご飯つくれないという構造的問題がある。私の母は、あまり食事にこだわる人ではなく、特に朝ごはんはひどいものだった。

流れをせき止めることが重要なのだ。生活も人生も時間も何もかも流れていく。自分の体、動き、思考、言葉を止めることができない。ダンサーもアナウンサーも、ともかく表現をするひとはまず止まることを覚える、訓練しなければちゃんと止まるができない。だからたまにカフェにいって生活を止める訓練が必要だ。

朝ごはんにお金をつかったので昼はカップラーメンにした。

最近見たもの

冬は、寝ても寝ても眠いのだが、夏は早朝に目が覚めて睡眠時間が短くて不安になる。

別に日々に充実を感じているわけではないのだが、たまに虚無感が強くなるときがある。生活になにか刺激や変化を導入すべきなのだろうが、しかしソファでだらだらしながらネットを検索するのは楽しいのでしかたない。

先週は、シリコンバレーという海外ドラマをずっと見ていた。海外ドラマはハマると一日二時間くらいずつ見るので、日本語よりも英語のほうがたくさん聞くようになる。シリコンバレーは、リストラマンの監督がつくっているコメディドラマで、リストラマンはマークフィッシャーが資本主義リアリズムという本で言及していた。だいたいどんな感じのものか伝わったと思う。

今週末にプラトン読書会があるので国家の下巻を読んでいるが、どうにもあんまりおもしろくないな。

残雪の小説を読んだが、これはとてつもなく良かったのであとでちゃんと感想を書こう。

さらざんまいは、最終回は無って感じだった。最終回一個前が一番盛り上がった。一話完結の繰り返しによってテーマに接近していくあの構造が良かったのであって、終盤にあれが崩れてしまうとなんか特にな・・・という感じだった。

プロメアをまだ見に行ってない。映画はハードルがたかい。

語り得ぬもの

なにがしかを語るとき、常に語るべきこととそうでないことを峻別している。この人にはことのことを語れて、このことは語れない、というようなことを考えながら語っている。インターネットは特にそうで、インターネット特有の匿名感に浮かれて何もかも語り破滅した例は枚挙にいとまがない。慎重になるべきなのだ。

私は親しい友人にも私的なことを不必要に隠す癖がある。

何もかも語れる人、というのは存在しない。あるいはそれは自分自身なのかもしれない。かつて自分だけが見るノートのはじめのページに、このノートはわたししか見ないので何もかも包み隠さず書く、というような文言を書いたことがある。これは逆説的に、自分にもまた語るべきことと語るべきではないことがあるということだ。

実際、自己を偽って生きるというのは珍しいことではない。自分自身が、最大の批判者であるということはままある。私自身に隠すべきこと、認識すべきではないこと。

だから、結局いつでも語るべきことと語らぬべきことについて考えていて、それはとてもストレスだ。

何もかも語るということが、そもそも人間の能力として無理という側面もある。ほとんど全ての思考を言語で行なっているから、認識と言語がかなり一体化していて、認識したことを全て語れてしまうような錯覚をしてしまうが、そんなことは無理だ。

何もかもすっかり語り尽くせたらどれほど気持ち良いものなのだろうと思う。

インターネットの無い夜

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ルーターにお茶をぶちまけてしまい、インターネットのない夜を過ごした。何をしようにもネットが無いと不便で、というかそもそもできなくて、インターネット依存度の高さを感じた。本でも読もうかとぼーっと思っているうちに眠った。

金曜日は体調が最悪で、土曜日はひどい雨だった。たぶんこれのせいだ。日曜日は晴れたのでよかった。カフェでサンドイッチを食べるなどした。

何かトラブルが起こると何もかも嫌になる。全部やめたくなる。全部やめたいという気持ちが溢れてしにたくなる。ふてくされるか憂鬱になってぼーっとしてると、すこし落ち着いてきて解決策が浮かんできてやっていく。そういう感じてずっと生きてるなと思う。疲れるな。

通勤定期を地下鉄からJRに切り替えた。一ヶ月の定期代はJRの方が高いのだけど、半年にすると安くなる。不思議だ。JR になるとパスモからモバイルSuicaに切り替えられて、持ち物が一つ減るという利点もある。そうかな、財布に入れてるから結局減らないな。

ルーターは乾かして翌日に電源を入れたら動いたのでよかった。

サンドイッチ弁当

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サンドイッチ弁当は良い。サンドイッチはパンで挟むだけと思いきやバターを塗ったり具を刻んだり意外とめんどくさいが、しかし良い。冷たいままで美味しいので、食べるときに電子レンジを使わなくていいし、ラップで包んでジップロックに入れていけば空箱もでない。電車で潰されないように気をつける必要がある。そして何より美味しい。

外に机と椅子が雑に出してある店で飲むなどした。日本は夏は暑くて冬は寒いので、外でこうして飲める時期はとても限られているなと思った。東南アジアなどいくと、壁がほとんどなくて天井だけの店とか割とあって、気候の違いを思い知らされる。

バジルの水やりは忘れなかった。

何日か前にアイスモナカを買ったのだがいまいち食べる気がしなくて冷凍庫に入れっぱなしで、これこのままになって忘れてしまうぞと思ったので半分に割って半分だけ食べた。

梅シロップを作っている。一日一回瓶をゆすれとのことなのでひっくり返して念入りに揺すっていたら、瓶は完全密封ではないらしく、シロップがたれてきてまじかーと思った。梅酒とか作ると内圧が上がるから完全密封ではないのかもしれない。わからないな。

バジルを育てる

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週末にバジルの苗を100円で買った。もうすでに何枚も葉が付いていて、フレッシュバジルはスーパーで買うと高いのでこれだけでもう100円以上の価値があるなと思った。その日からずっと雨で、水やりをする必要がなくて、このまま水やりを忘れてしまいそうで怖い。

オーシャンズ8がアマゾンのレンタルで100円だったので借りて見た。人々が目的に向かって着々と準備する感じが良かった。わたしの生活に足りないものだと思った。

天狗酒場のランチで唐揚げ定食が500円なのコスパ異常だなと思う。そこらで売ってる唐揚げ弁当が500円以上するのに。しかもご飯味噌汁おかわり自由である。すごい。いいのか? デフレでは? 適正な賃金が支払われていないのでは?

しばらく連絡を取っていない友達に、久しぶりに連絡してみようかと度々思うのだけど、連絡したことはない。毎週、古い友達に連絡を取るというルールを設けてやっていったら良さそうだなと思ってるけど、やったことはない。宣言することは強力なので、ここに書いてみた。

バジルがたくさんできたらマルゲリータを作ろう。先日居酒屋でマルゲリータ頼んだつもりがマルガリータ(カクテル)が出てきて困ったということがあった。でも明らかにわたしが言い間違えたのでなにも言わずに飲んだ。