モーニング

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最近は調べ物にはまっている。買いもしないパソコンや財布などについて散々調べて、結局買わないというものだ。1日1時間か2時間くらいそういう詮無い調べ物に費やしている。 調べ物をしていると、文房具マニアや、バッグ狂いや、カメラ好きや、ミニマリストなど、そういうその道のひとたちのブログをよむことが多いのだが、まあこう言っちゃなんだが、めんどくさい人たちだなとおもう。

労働がおわって家に帰ってきて、生活のもろもろをやって、余暇の時間はずっと iPhone で調べ物してるみたいなことがある。かつてはパソコンというものは時間を食いつぶすもので、なるべくパソコンから離れる日を作ろうみたいな感じもあったけど、スマホという究極の消費端末が出てきた今、パソコンはむしろ生産のためという色合いが強くなり、一日一回はマックブック開こうみたいな意識も芽生える。おそろしい。

特に日々に充実は感じないが、たまに虚無感がとても強くなる時があり、最近がそれだ。この話したっけ? ともあれそういうわけでなにか楽しみをあれしようと思って早起きしてモーニングを食べに行った、今日。外で朝ごはんをたべるのが好きだ。そもそも食事のなかで朝ごはんが一番好きかもしれない。しかし朝は時間がなくてちゃんとご飯つくれないという構造的問題がある。私の母は、あまり食事にこだわる人ではなく、特に朝ごはんはひどいものだった。

流れをせき止めることが重要なのだ。生活も人生も時間も何もかも流れていく。自分の体、動き、思考、言葉を止めることができない。ダンサーもアナウンサーも、ともかく表現をするひとはまず止まることを覚える、訓練しなければちゃんと止まるができない。だからたまにカフェにいって生活を止める訓練が必要だ。

朝ごはんにお金をつかったので昼はカップラーメンにした。