知的複眼思考法という本を読んだ

知的複眼思考法という本を読んだ。あ、いや、まだ読みきってい。ホッテントリか何かでおすすめされていて、Kindle版があったからそのまま買った。

 著者は「自分自身の視点からものごとを多角的に捉えて考え抜く力」を知的複眼思考と呼び、大学の講義を通して学生のこの思考法を身につけてもらおうと日々頑張っているらしい。そしてその方法を書籍としてまとめた本らしい。

最初の部分で学校教育の批判のようなものが書かれていて、現代の教育では考える力は養われない云々ということが書いてあって、まあたしかになーとよみながら共感する部分も多かった。振り返ってみて、学校で求められていたのは自分で考える力というよりも、先生の思った通りに答える力であった。子どもであった僕たちはそういう空気を敏感に感じ取って、先生のごきげんをとるように行動や答弁をしていた。そういう空気にカウンターをあてて悪いことをする人もいた。

で、本題の複眼思考を養う方法に入るんだけど、本を読むときは作者の気持ちになって読みなさいとか、作文を書くときは文章のつながりや構成をよく考えて説得力があるように書きなさいとか、あれ、これ学校で習ったことじゃんよっておもった。

教育業界のこと全然詳しくないんだけど、ここ10年くらいのキーワードは「生きる力」だか「考える力」だかって話を聞いたことがある。指導要領?みたいなやつ?そーゆーコンセプトで教育やってこうぜって国が決めるやつがあるらしい。つまり授業そのものは考える力をつけるためによく出来てる。

この本の著者が言ってることは至極最もだし、そのやり方も噛み砕いてわかりやすく説明してくれている、でもそれらってぼくはだいたい学校でなんとなくふわっと聞いたことのあることばっかりだった。トレーニングとしてやったことはなかったけれど。

そして子どもに考える力をつけさせないようにしていたのは教師だったのかもねってちらっとおもった。

 

人を指導する側に立つ、というのはどうしても教え子から思考力を奪おうとする方向に傾くのかもしれない。下の人間がちゃんと自分で考えて動いてくれるっていうのは上からすると楽なのだろうけど、もっと楽なのは自分の思った通りに考えて動いてくれるってことだろう。だからその理想の状態になるように働きかけてしまう、のかもしれない。