叫ぶ権利

全てがくだらないという思春期の中学生のような気持ちで生きている。生きているな。しかし思春期の中学生とわたしの相違点はわたしは自分で生計を立てているし、全てのくだらない事柄にもちゃんと意味があるかのような素振りを普段はしているということだ、それがコミュニケーションというものだからな。だからわたしは一人になった時に、全てがクソ!!!と叫ぶ権利がある。いやこの権利は誰にでもある、人権だ。

もしわたしが思春期の中学生と青臭い話をする機会があったらそれは大人になってもわからないと言ってやろうと思う。わからない、なにも。そんな中学生はわたしの想像上にしか存在しない。