Todo をあれする

古今東西 Todo を管理することは良いことだと言われ続けていますが、まあ難しいですね。 管理コスト、平たくいうとマメさが足りないということもありますが、私の感覚としてその最大の障害はずらっと並んだ Todo を見たくないということだと思います。 まあそんなわけで Todo 管理のための様々なツールがありますが、結局わたしはその日の朝に今日やることを書き出してポケットにいれておくという感じでやっています。

無職の日常というのは継ぎ目ない曖昧さで満たされていて、ぼんやりと過ぎていくので、せめて今日やることを書き出さないと何もできない。本当に何もできない。 いくらかの Todo を紙片に書いて、これだけやったら寝ようと思うが、全て消えるまえに寝る時間になってしまう。昼夜逆転は恐ろしいので寝る時間はある程度決めている。 それでもこの紙片は今日のうちに捨ててしまうのでそれほど嫌な気持ちにはならない。

思うに自己嫌悪というのは人生に全く必要ないのではないか。自分の怠惰さを責めるというのはみなさん日課だろうし、夜は自己嫌悪で忙しいのだろうけどたぶんそれはなんのあれにもならない。けつを叩けば走る理論みたいなもので自己嫌悪している気がする。よくよく考えると私にとってなんの得にもならないのに習慣になってしまっているものは、かつて私を操作したり支配しようとした者が植え付けたものだとおもう。そういうものから開放されて自由になりたいなど。

そういった自由は端的にいって「したたかさ」のようなものだ。しかしなかなかしたたかにはなれない。

ともかくこうして今日の Todo をひとつ潰したので、まだ幾つか残っているけど、もう寝よう。