キーボードを買った

最近キーボードを買った。

Bluetooth のペアリングが3つまで登録できるので iPhoneiPad に繋いでつかっている。ちょっとまとまった文章を書きたいなどのとき、ノートパソコンを開くのはだるいし、かといってフリッ ク入力もまただるいという問題があり、キーボードを部屋に放っておくとそれが解決する。

わたしが知らない間に iPad のキーボード対応は目覚ましく進化していて、キーボードショートカットなどが使えるし、command + tab でアプリ切り替えなどもできるので良い感じです。

リンク貼るために今調べてみたら3000円くらいしてる、私が買った時はセールで2000円くらいだった。

Mac の一部アプリで日本語入力時に揺れる問題

mac で日本語入力するときに文字が揺れてイライラする。

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これは day one という有料アプリです。日本語を入力するとこのように文字が上下にガタガタ揺れます。 まあ1000000歩譲ってサードパーティだから大目に見よう。ところで、

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これは mac 純正のメモアプリです(gif にするときになんか画像が変になった)。揺れます。

実は回避方法は存在して、日本語フォントを指定すればいいんだけど、これらのアプリは設定でフォントを変えられない or 日本語フォントを指定できないのでどうしようもない。

悪意を増幅する形式

今日も今日とてインターネットは燃えている。炎上というのはいつ誰にやってくるかわからないもので、しかしわたしは大丈夫だろうと思ってしまう。それは自分にはそんな不幸は降りかからないだろうという油断でもあり、自分はそんな炎上するほどの影響力はないという卑下でもある。

RT と Like によって影響力が可視化されるし、通知という形で生活に侵入してくる。欲望が喚起される、というよりも欲望が作られる。自己顕示欲の達成を形にするシステムだ。

炎上やバズるものというのは形式においてオリジナルであることはあまりなくて、ついったーでいうと会話形式のものとか、あと心に呼びかけるやつとか、テンプレートがすでにあって、テンプレートと素材とあとなんかいろいろがいい感じに組み合わさるとバズっている感じがする。

テンプレートのなかでも悪意を表現するタイプのやつは強力で、自己顕示欲と悪意の形式が個人の小さな悪意を増幅している気がする。

時間を記録する

暇なので App Store をだらだらみてたら タイムトラッキングの toggl がなんか新しいアプリを出していた。

 

https://superday.toggl.com/

 

Toggl のサービスとは紐付いてなくてローカルにだけデータを保存して生活の時間ログをとるためのアプリらしい。使ってみるといろいろと割り切っている感じが良い。

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右下にぐるっと出ているアイコンが行動のカテゴリーで、これを選んでログをとっていく。行動について詳細な説明を入力することはできないし、自分で新しいカテゴリーを定義することもできない。

このログを見ると1時間ほどかけて飯をつくり(Household)、20分で食っていることがわかる(Food)。具体的には豚汁なのだが、こういう細かいことは入力できない。こういう感じで記録していく。

GPS の常時使用許可が必須になっていて、場所を移動するとその時間を記録しておいてくれるので、あとから行動を割り付けられる。

Toggl 自体もそうだけど「なんでもできる」という方向よりも、ユースケースを絞って削ぎ落としていくという感じみたいだ。時間を記録するという行為はやろうとすると無限に手間をかけられるのでそういうアプローチは好感がもてる。つまり記録すべきものとそうでないものをサービス側が定義してくれて自分では増やせないというやつ。

飽きるまで使っていこうとおもう。

 

役所と怒られ

市役所から色々と届いていたが開封できずに何日か何ヶ月か経っていた。郵便物というのはこわいし、電話もこわい。だいたいそれらはわたしを怒るためにやってくる。出れば怒られるというのになぜ出るだろうか。おもえば進研ゼミのころから郵便物は憂鬱だった。しかしいつまでも無視し続けるわけにもいかないし、溜めすぎるとどうにも体調が悪化するので頑張って今日まとめてこなしてきた。税金などかなりぐちゃっとなっていたが市役所の人がうまい感じにさばいてくれてことなきを得た。プロはすごい。労働は尊い。思いのほか金がないのは働いていないからであって、しかも色々あって出費がかさんでいる。家計はよくわからない感じになっている。もうビットコインでひとやま当てるしかないかもしれない。やめよう。わたしは人に怒られるのが極端に嫌いで、人になにか言われるとすぐに怒られたとおもってしまう。そして怒られたというと、そのひとはべつに怒ってないと言い、ちょっと変な空気になってしまうことが多い。だから市役所なども行くと怒られるのではないかと思ってつい行けなくなる。しかし怒られるとは一体なんなのだろう。怒るとはいったいなんなのだろう。何人たりともわたしの価値を毀損することはできない、侵すことはできないと思っていても、実際に怒られたり失望されたりすると肉体の一部を失うような喪失感と恐怖がある。

なにもしないと精神が悪化する

なにもしなくても悪化しない精神があれば万事解決では?

それはそうなのだが実際の話、なにもせずにのんべんだらりと過ごし過ぎると精神が悪化するのでよくない。しかしここは塩梅の話で、なにか大きなことをえいやっとやり遂げたあとはしばらくなにもしなくても良いみたいな感じになる時もある。ともかく重要なのは精神が悪化しているときはなにかしら原因があり、怠惰が過ぎるパターンではなにか簡単なことを手につけたほうがいいということ。

あとなにもしなかった日は何もしなくても大丈夫な精神の鍛錬と思うこと。

理想の終末(猫のゆりかご感想)

理想の終末とはなにか、おそらく猫のゆりかごで提示されるものはその一つだろうとおもう。静まった世界で生きることも死ぬことも容易である、好きなときまで生きて、死にたくなったら美しく死ぬことができる世界。

またボコノン教というカルトもこの作品の魅力だろう。訳者はボコノンの教えを「全体を貫く作者の思想」と解説で書いているが、むしろわたしは宗教のパロディだと感じた。パロディには形式を強調することで内容の不在を表す機能があると思う。宗教は空っぽでかつ人間を救う。