本と他者

文学フリマにサークル参加するのは3回目だった。つまりわたしは今まで3冊の本をつくった。本を書くということはとにかく最初から最後までつらい。不安と自己嫌悪の連続だなとおもう。最後までといったが、そんじゃあ書き終わったらスパッと気持ちよくなれるのかというとそうでもなくて、やはりうじうじと悩み、文フリ当日は鬱々とした気持ちで設営をしている。

たくさんの言い訳をツイッターで垂れ流したい。しかしここで他者というものが出てくる。曲がりなりにもわたしは自分の本を売っているわけで、そしてなにを間違えたか買ってしまう人もいる。せっかく買った本を、読むにしろ読まないにしろ、その作った当人がつまらないだの後悔しているだのうだうだ言っていたらかなり気分が悪い。というわけでそういう鬱屈としたものは口に出さない方が良いということになる。他者すごい。

文学フリマありがとうございました

今日は文学フリマ東京でした。おかげさまで新刊既刊ともに完売いたしました。ありがとうございます。(何冊刷ったとかは書かない。完売という事実のみを明記する)

ツイッターでなんとなく繋がっている方々にも買っていただけたような気がします。わたしもみなさんの本を買いましたよ。

ほんとうにありがとうございました。

自己が苦手

これは告知ですが「しししし」という雑誌が出ます。わたしも関わったり関わらなかったりしました。

http://shishishishi.liondo.jp/

いま試しにググってみたけど、著しくググらビリティが低いですね。

ところでこれに絡んで簡単な自分の紹介文的なものを書く必要があったのですが、ああ自己紹介って苦手だなと再確認した。twitter の bio も苦手で、適当なフレーズとか本の引用で誤魔化している。いわゆる学校で行う自己紹介というのも憂鬱だった。結局今回のやつは無職とかなんとか書いて有耶無耶にしておいた。

「きっと何者にもなれない…」という有名なフレーズがあるが、何者かになりたがっているのに自分が何者かを名乗るのが苦手というのは一体何なのだろう。それはそれとしてどのような形であれ自己を表明するというのは少なからずシャキっとするものがある。

健全にプロジェクトをやっていきたい

11月23日 東京文フリの本が無事入稿できた。

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「物語と反物語」 11/23 文学フリマ東京 カ-58

内容は不条理主義とか実存主義とか不条理演劇を通して「語る」という行為を考えてみようという感じのものです。カミュとかサルトルとかベケットとかです。

果たして無事入稿できたと言えるのだろうか。出来る限りまでやって力尽きたところで入稿したという感じがある。やっぱりそういうのはよくなくて、しっかりブラッシュアップするようなものづくりをしたい。健全に個人プロジェクトをやっていきたい。

スケジュール的な方向性以外にも精神的にもプロジェクトの進行は不健全だ。あるプロジェクトを抱えていると他のことが手につかなくなる。やる気がなくてなんとなくだらだらするときも罪悪感とかにまみれてしまい遊ぶことができないとか、そういう不健全さがある。頑張って少しづつ習慣をつくっていくしかないのだろう。

やる気のやる気

やる気を出す方法というのはある。ともかく些細なことから着手して、手を動かしているとだんだん惰性がついてくるのでそれに従ってやる気を高めていくというふうなやつだ。これが効果的であることはわかっている。わたしの場合はとりあえずメモ帳とかに手書きでもなんでも今日あったこととか書き始めるというのがルーチンみたいになっている。なので真の問題はやる気を出す方法ではなくて、やる気をだす気がないということなのだ。やる気を出したくないのだ。いまこのままダラダラし続けたい、なにも生産的なことはしたくない、ゲームをやりたい、いやゲームは良くない、なんとなく罪悪感が強い、ネットを見たりツイッターを見たりしながら延々と時間を浪費したい、そういう気持ち、やる気を出す気がないというのが問題なのだ。

客と神様と貴族

「お客様は神様です」的思想を客側が持ちすぎてトラブルになるという話を良く聞く。店員を土下座させたりとかそういうやつ。わたしもこの間スーパーで店員さんと道を塞ぎ合う形になってしまったとき、とっさに店員さんが一歩退いてお辞儀をして、おおっすごいっしかしそんなにしてくれなくてもいいのに、とおもった。

個人商店や、コンビニなどでもおばさんだとグイグイ踏み込んでくる接客をしてきて、ちょっと戸惑ったりもするが、黙ってお辞儀をされるよりはいいなとおもう。

そこでふと、「お客様は神様です」問題というのは貴族階級がいないというのも関係しているのではないかと思った。いわゆる神様扱いというのは貴族やブルジョアに対するそれでなのではないだろうか、いや実際には知らんけど。

もしブルジョアに対して反感を持っているなら彼らの振る舞いを真似するだろうか。いやしないだろう。

というか、というかそもそも、貴族ならばどこにいってもそれなりに扱われるが、私達はみな労働者なのだから、かわりばんこに神様ごっこをしているわけで、阿呆らしいなとおもう。

左右独立イヤホンを買った

EARIN の発売がたしか1年前だったかとおもう。完全ワイヤレスイヤホンということでかなり話題になったし、わたしも欲しいと思ったが2万近くしたので、やめた。

というところまで書いて、不安になって調べたら2年前だった。ここ1年間くらい記憶が飛んでる可能性がある。たしかに EARIN が出た直後くらいにヘッドホンを買いに行って、しかも寒かった気がするのだが、このあいだの冬はそんな余裕全くなかった。

その後、類似製品が各社からでて、アップルも例のうどんイヤホンなど出し、それでもどれも2万弱くらいからなので、まあイヤホンにそんなに出せないよなーと思いつつスルーした。

久しぶりにアレ系の製品どうなってんのかなーと思ってAmazonで検索してみると、なんか3000円くらいからの名も知らぬメーカーの完全ワイヤレスイヤホンがバンバン出てる。すごい。たしかに品質に差はあるのだろうけど、2年足らずでコピーされてしまうのか。と思いながらも買った。

おそらくこの価格帯のものはどれも安かろう悪かろうだし、どれを買ったかとかは注文履歴を手繰るのもめんどくさいので書かない。

使ってみた感想としては、音楽を聴くのは厳しいが便利という感じ。全体的に音がスカスカなので音楽は本当に厳しい。音質にこだわらない人の最低要求レベルが、iPhone付属のイヤホンだと思うんだけど、そこに達していないのでどうしようもない。

が、便利。radikoポッドキャストを聴く分には問題ないし、音質を犠牲にしつつジョギングやジムで使うのはめちゃ便利。とくにジョギングするときに紐が揺れて伝わってくるノイズがないというのがいい。

ケースがバッテリーになってるので、トータルでの使用可能時間は一般的なワイヤレスイヤホンより長いと思う。これも意外と便利で、わたしは玄関にケースごとおいて、散歩のときつけて帰ってきたらケースにしまうという感じでやってる。ケースの充電は週に一回以下。

3000円なら十分なのではないかと思う。

というところまで書いて風呂を上がったのでせっかくなのでリンクを貼っておこう。

音響機器というやつはコストを音質に振るか機能に降るかというやつなので、結局機能のいいものは音質がわるいし、両方取ろうとすると価格がすごいことになってしまう。