ブログ、何を書けばいいのかわからない
今日CTECに行ってきたのでそのことを書こうかとおもったけど手が止まる。何を書けばいいのかわからない。CTECはいろいろと衝撃的で、なぜか技術者になってしまったわたしはわくわくしたり不安になったりした。結論としては明日もクソみたいなコードを書くしかないっていう感じだった。
そういうところから就活の話とか開発の仕事をやりたかったけど諦めたけどいろいろあってなぜか開発の仕事ができるようになった話とか書こうとおもったけど、自分のことばっかり書くのもなあとか、ともかく手が止まった。
個人のブログなのだから好きに書いていいのだし、何を書くべきなのかという問いを発することがそもそもおかしいのではとか、そういうことも考える。
でもやっぱり自由というのはとても難しいのもので、それは実は模倣から始まる気がする。
文章力のようなもの、高校生くらいからまったく変わってない、とても苦手。
cppUTest のインストール
cppUTestのインストールが案外てこずった。ググるとけっこう情報があるんだけどそれらの通りにやるとうまくいかなくて、結局配布元に書いてある通りにやったらできた。
環境:Mac OS 10.9.4
home brew でインストール
brew install cpputest
これでうまくいけばいいんだけどなんかエラー出てうまくいかなかった。
ソースコードからビルド
インストールできなかったのでソースコードからビルドする。 まず github から適当なフォルダに clone、パスに空白が入らないように。
git clone git://github.com/cpputest/cpputest.git
必要なものをインストール。
brew install automake brew install autoconf brew install libtool
cpputest_build ディレクトリに移動してmake。
cd cpputest_build autoreconf .. -i ../configure $ make
おわり。
スクリプトのインストール
cppUTest には便利なスクリプトがついていて、それらをつかえるようにする。 まず環境変数 CPPUTEST_HOME の設定をする。vim で.bash_profileを開いて、
vim ~/.bash_profile
環境変数を追記する(cppUTestのディレクトリを指定)
export CPPUTEST_HOME=$HOME/tools/cpputest
vimを閉じて.bash_profileを読みこむとcppUTestのホームディレクトリが環境変数に追記される。
source ~/.bash_profile
スクリプトのインストールをするのでスクリプトに実行権限を与える。
cd $CPPUTEST_HOME/scripts chmod -x *.sh
スクリプトをインストールする用のスクリプトが用意されているので実行。
./InstallScripts.sh
おわり。これで $ NewCModule hogehoge
みたいなかんじで使えるようになる。
まとめ
だいたい公式サイトに書いてあるとおりにやったらできた。でも英語読むの嫌だから日本語情報を探してたらいろいろとはまった。最初から英語を読んでおけばよかった。
らくえんについて考える
南の島にバカンスにいっていきました。貧乏旅行ではなくて、金で楽園を買うみたいなかんじのやつ。
らくえんについて考える。
わりとぼくは毎日意味もなくつらいなーっておもいながら生活していて、じゃあそれの反対のもの、らくえんというものについて考えてみると、つまりぼくがつらいとかだるいとかめんどくさいとか感じるものがなにもない世界について考えてみる。無痛の世界だ。そういう世界に到達することはできるのだろうか、とか。今まではなんとなく、うなるほどの金があればそういう、らくえん、を手に入れることはできるのだろうなあと漠然とおもっていた。まずお金があれば働かなくていいし。
お盆休みがおわって、あ、働くのすごく嫌だっておもったけれど、一ヶ月もしたらバカンスだなともおもった。今回の旅行にはそういう、らくえん的な理想を抱いていた。南の島でだらだらしよーって。やはりここでも漠然と、無痛のらくえんを夢みていたのだろうとおもう。
そんでまあ行ってきたわけだけど、無痛のらくえんなんてなかった。夢のように綺麗な島だったけれど、船酔いはするし、食べ物にあたって半日寝込むし、珊瑚で足を怪我するし、無痛のらくえんではなかった。いやほんとにお腹壊したときは死ぬかとおもった。すごい勢いで尻から液状のものが、そして勢いがすごすぎて尻がひりひりして痛いの、出しても痛いし出さなくても痛い、そして出さなきゃ終わらない。地獄だ〜って叫びながらホテルのトイレに一晩中こもってた。
つまり無痛のらくえんは買えなかった。
ぼくはなにかつらいことがあると、つらい→しにたいっていう感じに考えてしまうんだけどなんですぐしにたいっておもうのか自分でも不思議だった。それはどういうことかというと、ぼくにとっての理想の状況が無痛のらくえんであって、それを阻害するありとあらゆる痛みが嫌で、でもその痛みって海外旅行に行くためには何時間も飛行機に乗らなきゃいけないみたいなものなのであって、でもそれすらもない無痛のらくえんを求めている。つらみを感じるとき、無痛のらくえんは遠のくし、それをより欲っする。でもまあ実際にそれを達成する方法はたぶん死ぬしかなくて、だからしにたいっておもうんじゃないかとおもう。
自分が理想とするところとそれに至る方法をよくよく知っている。のかもしれない。いいかげんしにたいとかうだうだ言ってる歳でもないし、そういうのも飽きてきた感じもある。
aquaSKK と vim でノーマルモードにもどったときに日本語入力を切る
aquaSKK + vim という環境でインサートモードで日本語入力をしていて、ノーマルモードに戻ったとき日本語入力のままだからコマンドが効かない問題。
aquaSKK のほうのキーバインドをいじって、escを押したときに英語入力モードに切りかわるようにしてみた。
・やったこと
/Library/Input Methods/AquaSKK.app/Contents/Resources/keymap.conf
を
~/Library/Application Support/AquaSKK/
にコピーする。
keymap.conf を開いて
SwitchToAscii l → SwitchToAscii l||hex::0x1b
とする。
・参考にしたページ
プログラムとか努力とか
プログラムというもの、なんとなく憧れていてはいたけど特につくりたいものや必要なものもなかったのでちょっとかじってはすぐ飽きるというのを繰替えしていた。
でも最近は、というか働きはじめたらそんなことも言ってられなくて、勉強をしている。ギョウムに直接関係ないところでも、エクセルをただ打ちこむだけのクソみたいな仕事とか、そういうのやりたくないからスクリプトを書いたりする。
プログラムというのは独学要素がすごく強い。他人の書いたコードはもう一目見てまったくわからんという絶望感に襲われる。気をとりなおしてわからんことをひとつひとつググる。独学要素が強いというのは 自分で調べまくって解決しまくれということだとおもう。目の前にわからないことやトラブルがあって、それを調べまくって、ぜんぜん違うこと調べたりとかして、解決すると一歩進めて、進んだ先にまた問題がある。あ、これが努力かもしれないっておもった。
学校の勉強は、なんだか、手をひかれている感じだった。問題は次から次へと降ってくるけれど、答えは先生が知っている。安心感があった。
月並な意見だが、答えのない問題にぶちあたり続けるのは楽しくもありしんどくもある。しんどい。ただベテランの技術者というのはそういうタフネスさをもっているし、問題を解決した瞬間に次の一歩の問題を覚悟しているような節がある。