したおぼえのない約束を破ったと罵しられる、いや罵しられない

人間関係について、ぼくがこわいなあとか不安だなあとおもうことの一つは、「明文化されていない約束やルールを知らずのうちに破って、知らずのうちにぼくの評価が下がっていくこと」です。

マナー、とか、ルール、とか、ぜんぶ書いといてくれればいいのに。メタルギアライジングの無線ネタで、ポジティブリストとネガティブリストみたいな話があった。傭兵が戦闘地域において、やってもいいことリストとやっちゃいけないことリスト、どちらを渡されるのがストレスが大きいか、みたいな話だった。つまり「…以上の施設への攻撃を許可する」と書かれたリストか、「教会を攻撃してはいけない」と書かれたリスト。後者のほうがシンプルでストレスが少ない、前者のリストを渡されてしまうと行動する度にリストと行動を照合しなければいけなくなるのでストレスやばい、みたいな話だった。

だいたいぼくはテーマを決めて書きはじめてそのときに思いだした話をてきとうにはさむんだけどよくよく考えてみるとぜんぜん関係なかったりしますね。

定時に帰らない空気があって、そこで定時に帰るとみんなからの心証がわるくなるんじゃないかとか、そういう、見えないルールに抵触しないように気を付けたり、それにともなって見えないルールを探ったり、そういうのがめんどくさいし、とても不安になる。

そしてその心証が悪くなるっていうのも明言されるわけではなく、誰かの心のなかで勝手に下っていって、あるとき急にぼくの生活に影響を与えたり与えなかったりする。とても不安だ。

めんどくさいのでぜんぶ気にしないようにしようとおもう。

あと、また関係ない話をしますが、このあいだ電車に乗っていたら満員電車のなか障害者手帳を印籠のように掲げモーゼのごとく優先席に座る方がいらして、ああスマートでいいなっておもった。

見た目ではわからない障害を持つ方もいるから優先席には座らないようにしよう、みたいなことを言う人もいるけど、そういうのはけっこう無駄なコストなんじゃないかとおもう、ああやって主張して交渉して座席を有効利用するのはとてもスマートだ。

明日は平日。

 

本を読むための空間をつくった

引越した先が広いので本を読むための空間をつくった。

ニトリで手頃な椅子と照明を買って、でもイスが取り寄せで昨日やっときたので今日組みたてて、本を読むための空間をつくった。

とてもよい。

そもそも自分の部屋というのは集中できないとずっとおもっていた。ぼくの部屋にはパソコンがあって、ベッドがあって、机があったけど、どこも本を読むのには適していなかったし、勉強をしようと机にむかってもぜんぜん集中できなかった。

集中する、というのはバラバラの藁がぐっと人の形になるようなイメージがある、そういう意味でぼくの部屋でぼくはいつもバラバラなかんじがした。自分の部屋はとても安心できるけれど、そんなかんじであんまり好きじゃない一面もあった。

部屋で集中するのが無理なので、なにか作業する必要があるときは外でやっていた。だいたい本とノートとパソコンがあればなんとかなったので、そのときどきの経済状況にあわせてマックやファミレスをふらふらしていた。これはけっこうたのしかったし、いまでもそうしてる。

大学四年のときは研究室に行きたくなかったので、そして実際にほとんど行ってなかったので研究のほとんどはマックで進めた。マックでできるように家にシミュレーション回すようのサーバーを立てたりしていた。

というのがぼくとぼくの部屋の関係だったのだけど、今回やっといい所に落ち着いた気がする。

ニトリはイケアの商品を真似することでどんどんよくなっている。そしてモノとしてはニトリのほうが丁寧だ。イケアはねじ穴がまがってたり、粗が目立つ。

ちなみに買ったのはニトリのパーソナルチェアというやつで、オットマンつきで7000円を切る。安い。机と良いワーキングチェアを買う、というのも考えたけどあんまりに高くついてしまうし、ワーキングチェアはだらっと本を読むのには向いてない気がする。持ってないからわからないけど。机で作業がしたかったら喫茶店とかマックに行けばいいやとおもう。

自分よりすごい人がいるのは幸せだなあとおもった

そうおもった。

すごいひとって怖い。なるべくなら怖い人には近づきたくないし、すごくない人と一緒にいた方が多分楽。

そもそもすごいとかすごくないとかそういうふうに人を見てるのがあれなかんじするな。

いま僕の周りにはもう全然歯が立たない人がたくさんいて、この人たちは何を見てるんだろうっておもう。そういうひとと仕事をしていると自分が間違ってるんじゃとか、ちょっとしたミスを怒られるんじゃないかとか、ビクビクするし、緊張する。

でも、これってすごい幸せなのかもしれないとおもった。

大学生の頃、ぼくは六年も大学にいたので同期の奴らはみんな卒業するし、それどころか後輩だったはずのひとも卒業するし、研究室は行きたくないし、部活ではなんか長老みたいな扱いされるし、もうなんか完全に、飽きたな大学っておもってた。

理系の大学って、リア充にコンプレックスもったひとがばっかで、たまたまリア充のフリを出来た人がそれ以外の人を馬鹿にするみたいな地獄のようなコミュニケーションが繰り広げられていた。

ひとはすぐに自慢話をしたがる。

僕のことをすごいと思ってくれる人たちの中にいて、どうだすごいだろって、承認を安く買い叩くことは気持ちいい。でもそれは不幸かもしれない。

つまりまとめると、自分よりすごい人がいるのは幸せだなということ。

あ、でもそれは、尊厳を踏みにじり、食い物にしようとする人々の間で耐えることが美徳とかそういうことではない。

仕事のミスを指摘するという体で安い自尊心を満足させるオナニープレイにつきあわされた話

仕事でちょっとしたミスをして、というかぼくの作った書類がけっこう穴だらけで、それを会社の先輩から指摘されたんだけど、なんだか途中からヒートアップしたらしくて、最終的に、

「もういいよ、あなたに頼んだわたしが馬鹿だった」

とか

「なに? 残業して直せってわたしに言ってほしいわけ? いいよ、あとはぜんぶわたしがやるから」

というようなことを言われておわった。

なんだかドラマとかで言いそうなセリフだなあとぼくはぼんやりおもいながら、定時で帰った。

 

話は変わって、大学で留年しているころ、実験のレポートを2年くらい遅れて提出しにいったら教授にマンツーマンで添削されたことがある。レポートは合計で50ページくらいはあったとおもうんだけど、それを教授の部屋でふたりっきりで1ページごとにここがわかりづらいとか、この情報が足らんとか、2時間くらいかけて添削された。

とても嬉しかった。

レポートというのはだいたいが、出したら出しっぱなし、あるいはAとかBとかいう謎の記号がくっついて返ってくるだけだった。こういうふうに時間をかけて丁寧に指導してもらえるのはなんだかとても嬉しかった。自分でもそう感じるのは不思議だった。

 

つまり何が言いたいかというと、タイトルの通りで。

 

自尊心を満たす、承認を稼ぐというのはとてつもなく気持ちいい。その快楽はあらゆる行動の目的にすりかわる。力や地位があるほどそれは容易くできるのだろうけど、あらゆる場面でそれをしていいのだろうかっておもう。あらゆる行動の目的に、ちょっぴりあるいは大量の自尊心を持ち込むというのはどうなんだろう。

 

あ、あと仕事の内容ですが、 紙に出力された表をそのまんまエクセルに打ちこむっていうやつでした。 

知的複眼思考法という本を読んだ

知的複眼思考法という本を読んだ。あ、いや、まだ読みきってい。ホッテントリか何かでおすすめされていて、Kindle版があったからそのまま買った。

 著者は「自分自身の視点からものごとを多角的に捉えて考え抜く力」を知的複眼思考と呼び、大学の講義を通して学生のこの思考法を身につけてもらおうと日々頑張っているらしい。そしてその方法を書籍としてまとめた本らしい。

最初の部分で学校教育の批判のようなものが書かれていて、現代の教育では考える力は養われない云々ということが書いてあって、まあたしかになーとよみながら共感する部分も多かった。振り返ってみて、学校で求められていたのは自分で考える力というよりも、先生の思った通りに答える力であった。子どもであった僕たちはそういう空気を敏感に感じ取って、先生のごきげんをとるように行動や答弁をしていた。そういう空気にカウンターをあてて悪いことをする人もいた。

で、本題の複眼思考を養う方法に入るんだけど、本を読むときは作者の気持ちになって読みなさいとか、作文を書くときは文章のつながりや構成をよく考えて説得力があるように書きなさいとか、あれ、これ学校で習ったことじゃんよっておもった。

教育業界のこと全然詳しくないんだけど、ここ10年くらいのキーワードは「生きる力」だか「考える力」だかって話を聞いたことがある。指導要領?みたいなやつ?そーゆーコンセプトで教育やってこうぜって国が決めるやつがあるらしい。つまり授業そのものは考える力をつけるためによく出来てる。

この本の著者が言ってることは至極最もだし、そのやり方も噛み砕いてわかりやすく説明してくれている、でもそれらってぼくはだいたい学校でなんとなくふわっと聞いたことのあることばっかりだった。トレーニングとしてやったことはなかったけれど。

そして子どもに考える力をつけさせないようにしていたのは教師だったのかもねってちらっとおもった。

 

人を指導する側に立つ、というのはどうしても教え子から思考力を奪おうとする方向に傾くのかもしれない。下の人間がちゃんと自分で考えて動いてくれるっていうのは上からすると楽なのだろうけど、もっと楽なのは自分の思った通りに考えて動いてくれるってことだろう。だからその理想の状態になるように働きかけてしまう、のかもしれない。

 

300円と400円のちがい

どうも、眠れない夜に書くブログです。昼寝しすぎた。

最近バットマンのゲームにはまっています。まあ、このゲームがよくできていて、ちょうたのしい気持ちいいバットマンごっこって感じです。あ、語弊ありますね。バットマンアーカムシリーズは各所で絶賛されていますし、おすすめです。

バットマンの映画を見よう

そんなわけでバットマンの映画を見たいなとおもってクリストファーノーラン監督のダークナイトをアマゾンで検索してみたら、インスタントビデオのレンタルで400円でした。この Amazon instant video というのは映像コンテンツをデータで購入・レンタルできるサービスで、今のところPC(ブラウザ)・kindleiOSに対応しているらしいです。nexus7 で見たいのでやめました。

google play video というおんなじようなサービスで検索してみると300円でレンタルできるようでした。この100円の差はでかいなって感じた。400円だとちょっと戸惑う、めんどくさいけど近所のツタヤにいくかなって気分になる、でも300円だとまあいいかってなる。

よくよく見てみると、Amazon はレンタルはだいたい一律400円なのに対して、google は価格に幅がある。例えばダークナイトは300円だけどテッドは900円だよとか、ダークナイトライジングはレンタルやってないから1000円で購入してね、とか。

デジタルレンタルってけっこういいんじゃないかな

って思いました。電子書籍は、DRMがかかっているので特定のサービスで買いつづけたほうが便利です。でもデジタルレンタルなら期間を過ぎたら権利ごと消滅するのでその時々に安いとこで借りて問題ない。これはとても身軽で良いなって。

クリストファー・ノーランの昔の映画を見よう

クリストファー・ノーラン、memento とか following とかの最初のほうの暗い作品もけっこうおもしろいですよ。

パソコンを組んだ

Windowsを持ってないのにSteamのセールの度にゲームを買ってしまい、ただただ積まれていく生活を変えるためにPC組みました。

 

友達にもらったパーツを流用して安く上げるつもりが結局全部買ってきてしまった。せっかく組むんたからそこそこのものがいいじゃないですかやっぱり。と、いうことでGTX760を買いました。

 

ところでマザーボードのグレードってなんの意味があるんですかね? よくわからないのでいつも一番安いやつ買っちゃうんですよね。

 

そんなこんなで三連休はずっとゲームやってました。バットマンアーカムアサイラムやってたけど、これはとても丁寧に作られている、愛を感じる良いゲームですね。