漠然とした不安と混乱した思考
今朝、起き抜けに漠然とした不安に捕まってしまい、混乱したまま半日くらい過ごしてしまった。その間は不安が延々に頭の中を回転し続け、同じことを考え続け、同じ絶望的な答えに辿り着き続けていた。
銭湯に行き、落ち着いて冷静になってみるとそんなに大したことではなかった。というか、ともかく工夫してやっていくしかない。
わたしがどれだけ不安になろうとやるべきことはあまり変わらず、問題は依然としてそこにあり、対処していくしかない。なのであまり不安になり過ぎないことが肝要だと思う。
混乱というのもあり、混乱してしまうとともかくうまく考えられない。うまくない考えは同じところを何度も回って筋の悪い着地を繰り返すので本当に体に悪い。混乱したら一刻も早く冷静になるべきだし、肉体的な刺激は良い。布団の中で混乱して布団の中に居続けると何もよくならない。
というのはもう何度も経験していることなんだけどなかなか毎回同じようにダメになってしまう。生きることはとかく難しい。とかく の使い方に自信がない。
人がたくさんいるということ
月並みな感想だが、東京には人がたくさんいる。
こんなにたくさんの人が仕事をしていて、こんなにたくさんのひとがやるほど仕事があるというがすごい、そんなに一体何があるんだ。
しかし、たくさんのひとが経済活動をして、複雑さと戦い続けているから文明があり、アマゾンが届いたり災害対応できたりケータイがつながったりしている。
たくさんの人間というのは絵面としてかなり気持ち悪くて、もっとスッキリしてほしいと生理的に思うけど、このようにして人類が社会が引いては個人が厳しい自然の中で生存しているのだなあなどと思った。
考えるのをやめること
割と大きく環境が変わった。朝早く起きなければいけなくなったし、とにかく慣れないことばかりで大変だ。新しい環境はストレスが大きい。
ふと以前の状況と比べると、慣れ親しんだ環境は懐かしく、ここに来なければよかったと思ってしまったりする。あの牧歌的な世界でぼんやりとやっていればよかった。
わたしがいまやるべきことは考えるのをやめることなんだろうと思う。考えるのをやめて、できる限り休んで、効率的に、新しい生活に慣れる。試行錯誤と小さな改善で生活を良くしていく。
疲れている時にものを考えるとだいたい破滅的になって良くない。良くないことしかない。とにかくいまは眠ろうと思った。
プログラミング言語C++ を読んだ
読んだ。
9504円、1360ページの大著だった。 kindle 版で読んだので物理的なプレッシャーは感じなかったけれど、右下の%表示が全然進まなくてびっくりしました。
C++ は全然書いたことなくて、C のテストを C++ で書くくらいしかやったことなかったので、ちょっとちゃんと勉強してみようと読んでみた。1万円の本が買えるの本当に労働の力という感じがする。
物理的に重い本でも、kindle だと簡単に持ち運べてとても良い。あとパソコンで読めるので仕事に飽きたときにこっそり読める。とりあえず画面にコードが表示されてればいいっしょ。
本の感想としては、「C++は俺がつくった」という自信に満ちていてすごかった。
やる気に関する覚書
難しいですね、やる気。やる気に関するつらつらです。
やる気は必要か
やる気はどうしてもムラがあるので、それで作業の効率や生産性が左右されてしまうのはちょっとあれなので、 やる気にかかわらずやれるようにしていこうという話はよく聞きます。
なるほどそりゃあいいねって思うけど、やる気はないより適度にあったほうがいいし、もう一歩踏み込むか? みたいなところはやはりやる気かなとおもいます。 やる気がゼロでも動けるレベルのいわゆる底上げと、やる気そのもののマネジメントみたいな両面で対策を打っていくのがいいのだろうと思います。
だめなとき
前提として、なにもやらなくてもいい、という価値観をおいておきます。 どうしてもやる気が出なくて、動けなくて、なにもできなくてもいいよ。 だめでもいいよという価値観を自分のなかで明示しておくのは結構重要なんじゃないかとおもいます。
ある程度の行動
なにもやらなくてもいいんだけど、なにもやらないで生活するのは精神衛生上あまりよくないという経験則があります。 適度になにかやったほうがいいです。
ここまでやる気一般について書いてきましたが、ここからは仕事、労働のことに話題を絞ります。 なぜかというと、ここ数年でわたしは労働におけるやる気の維持のようなものが難しいなあと感じているからです。 私生活においてやる気がないときは寝ればいいけど、職場では寝れない。 労働なので、最低限こなせればいいんだけど、かといってやる気の発生しない倦怠の気持ちで、しかし仕事は真面目にやってますみたいな風体で職場に居続けるのはきついです。
意味のないことはつらい
やる気のでない仕事の振られ方というのがあって、作業だけ振ってくるのが一番つらいです。 意味のない作業はつらい、意味が奪われていくとどんどんつらくなります。
話をすると少し楽になる
というのは、私が一日中だれとも話さなかったりするからです。 話さなくていいというのはすごく楽なのですが、それが続くとなんのためにやってるんだっけという気分になってきます。
労働がそもそも社会との関わりあいで発生するものなので、人と交流しないと労働の意味が削れていくように感じます。 これは対策が簡単で、職場の人と話をする、とよいです。話をすると、あっわたしはこの人のために仕事してるんだったというような再発見があって、急に楽になったりします。
人間には変なプライドがあり、他者によって簡単に自分が影響をうけるとそれを隠したり認めなかったりしますが、実際わたしは楽になるので、人と話すことはすごいなあと思います。
成果を送りつける
必須ではないけどやっておいたほうがいい仕事、というのは意味が削られやすいように思います。それはまだ求められてない仕事だったり、前例がないものをつくっていたりするからです。大げさな話をしているわけではなくて、ちょっと詳細なドキュメントをつくっておこうとか、立ち話でうっかり重要なことが決まったのでまとめておこうとか、そういうことです。
そういう仕事にとりかかっているとき、あれ? これ? 必要かな? 余計なのでは? 意味ないのでは? という不安が、仕事の意味を削りにきます。するとやる気がなくなったりします。 そういうときは、とにかく小さくても成果を関係するひとに送りつけたりすると、途端に意味が発生して楽になったりします。
意味を大事に
要するに、意味を大事にするといいなと思います。 「ほうれんそう」という謎の言葉がありますが、上司から部下へのそれはわりとおざなりになっている場合が多く、意味が欠落することがあり、やる気がどんどん下がっていきます。 あと説明が下手とかでうまくいかなかったりもします。
意味を大事にして健やかなやる気を。
ひとつのものを使い続けること
情報は一冊のノートにまとめなさいみたいな本が数年前に流行った気がします。私は読んでないけれど。
一元化すること、規格化すること、統一すること、ただひとつのものを使い続けることというのは、合理的に聞こえるし、美しさも感じられます。 しかし現実には道具には得手不得手があり、一長一短で、なかなかまるっと一つにまとめることは難しいです。あと最大の問題として飽きる、というのがあります。 わたしはとても飽きっぽいのですぐに別のものに移ってしまいます。
いまわたしは道具全般についての話をしようかと思いましたが、なんだか焦点がぼやけるのでメモ帳の話をします。
一番長くつかってるメモ帳はたぶんコクヨの測量野帳で、これは30冊くらいつかったし今でも使っています。野帳は会社の経費で買えるのでコストゼロだし、買うときは10冊セットで買うのでストックしておけるのもよいです。 野帳もずっと使い続けているというわけではなく、そのときの気分でいろいろ浮気しつつ結局これに落ち着いてるという感じです。
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学生のころは無印のツインリング無地ノートをつかっていて、これもすごく気に入ってました。当時は教科書を持ち歩いたりしていたので、B5のノートでも問題なくもてたというのが大きかったです。無印はわりと廃番になったりするのでもうないかもしれません。
ミドリのMDノートも良かった。ちょっと高いけど。製本がよくて、パタンと開けるところがよかった。あと紙質が自慢らしくて実際良いでした。
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MDノートがよかったので同じ紙でつくられているトラベラーズノートという手帳も良いかもとおもったけど、こちらはパタンと開けなくて使いにくかった。
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ところでわたしは罫線というものが嫌いで、無地か方眼のノートを使います。昭和天皇も罫線きらいだったらしいです。
道具は別にこだわる必要はなくて、飽きる罪悪感とかも感じる必要はなくて、その時々で気分でいろいろ使うというのが良い感じです。 いろいろ使っていると、そのなかで良いものが生き残っていって、その良いもののなかから現状にフィットしたものが手元にのこるという結果になります。