生活
晴れて無職になりました。つい最近、転職を祝ってもらった気がしますが、その節は皆様ありがとうございました。なんとなくバツが悪い感じがしますね。
今何をしているかというと生活をしています。あとハイラルを救ったりしています。
ゼルダすげーおもしろくて、そうだよこれが俺たちがやりたかったオープンワールドだよ!って感じです。
学校を卒業して、働きはじめたとき、会社の同期が、「これから40年ここで働くのかあ」と言ったのが印象的で、そういう感覚はわたしにはなかった。というのを今突然思い出した。悪く言えば、その同期の圧倒的な能天気さには呆れる。まあどうでもいいのだけれど。
あ、あと植物を育てたりしている。バジルと大葉。ハーブは実がならなくても楽しめるので良いです。バジルは1日でも水をやるのを忘れると死にそうになり、大葉はたくましく育っている。大葉はスーパーで売っているのの2倍くらいの大きさになってしまったが、食べてみたらちゃんと大葉の味がした。
生活です。
きっと後悔するぞという人よ
小学生の時、先生に何かでこっぴどく怒られて、でもそのすぐ後に友達と楽しく話してたら、先生から、「さっき怒られたばかりなのに反省の色がない」的なことを言われた。
転職のときに、上司から、「きっとお前は後悔するぞ」と言われた。
他者からして、わたしに求めているものや期待しているものは反省や後悔だ。しかし私にとって私に最も重要な事は生きることだ。
なるほど私は生きている限り無数の後悔をするだろう、そしてまた生きるだろう。なので後悔するぞという忠告は無意味だ。
他者にとっての私はある感情や態度を示すことを期待される。悪いことをすれば罪悪感、謝罪、反省といったものを、忠告を無視すれば後悔などを期待される。円滑なコミュニケーションや角を立てないというのは求められている概念を把握して上手に表出する能力だ。
問題なのは、他者からの要求であるはずの罪悪感が、自己からの要求にすり替わってしまうことなんだよな。
社会性として、コミュニケーションとして罪悪感を表出していたのに、いつの間にか自己が自己にそれを要求しているようになり、罪悪感そのものにならなければというような強迫性が生まれる。これがつらい。
感情の表出は社会性であり、内奥は下衆でしたたかに保とうと思う。
職チャレンジ
准無職です。
いろいろと不確定で曖昧な立ち位置なので詳しくは書けないのですが今日は職ゲットチャレンジして失敗しました。世間は厳しい。
明日は明日でチャレンジがあります。頑張っていこう。
准無職になった
准無職になりました。
そんなわけで曖昧な日々を過ごしています。
大学に入学したとき、留年すると生涯賃金でいくら損するみたいな糞みたいな話をされたのですが、あれ本当に意味なかったなっておもう。
よくわからないうちに一日が終わってしまい、食っちゃ寝しています。
自分の体調がいまいちつかめない。
ゲーム、ゲームの話でもしよう。とにかくやることがないしやる気もないのでだらだらゲームやってる、やってるといっても集中力が死んでるのでそんなにやってない。 スイッチが買えなくてカッとなって買ったホライゾンゼロドーンがおもしろい。
あとハースストーンをやってる。ハースストーンは現環境で強いデッキをつくって延々ランクマッチを繰り返しているとだんだんとランクが上がっていくという仕組みで、微妙に虚無を感じる。自分で考えてデッキを組むとすぐ負ける。 多分1万円くらい投げると現環境トップのデッキが組めて、それを使いこなせると勝率が50パーかそこらくらいまで行けて、そうすると勝ったり負けたりして楽しめるみたいな、そういうゲームなのかもしれないっておもった。 このゲームでクリエイティブに楽しめる人というのは本当に一握りなんじゃないかとすら思う。あと環境についていくだけの財を即座に投入できるとか。 それでもいわゆるソシャゲの課金に比べると安い。
あとスイッチ注文成功した。
収入がこれからアレしてしまうのに無駄遣いしていいのかというのあるけど、いずれ働けなくなる気はずっとしていたので蓄えがあるのですぐにどうこうはならない。
行動範囲を広げる楽しさ
会社の昼休みの間でどこまで行けるかというやつをよくやる。
職場が変わったので散歩が楽しい。少しずつ行動範囲を広げていって、変な店や隠れコンビニなどを探すのが楽しい。 最近はコミュニティサイクルを借りてぶらぶらしているんだけど楽しい。
初めて自転車にのってどこかに出かけた時、一人でこんなにも遠くまでいけるのかと感動したが、それを思い出した。
優れた作品というもの
ウジェーヌ・イヨネスコという劇作家がいた。この人は歴史に名を残すレベルの人なんだけど、30歳くらいの時に英語の勉強でテキストを買ってきたら、それが面白かったので戯曲を書いて上演したりしてたら超有名になったみたいな人です。
英語のテキストの会話というのは、
「わたしはナンシーです」
「わたしはジョンです」
「わたしの夫はジョージです」
みたいな、自明なことを延々とやりとりするのが面白かったらしい。
わたしは最近、この人の全集を、全集といっても日本語訳で手に入りやすいものは一冊しかないのだけど、それを読んでいて、まあ、わけわかんねーなって感想だった。登場人物が意味のない矛盾した会話を延々とやっていて、なんなんだろうこれはという感じだった。
イヨネスコの多分一番有名というか、成功した作品は「椅子」というやつなんだけど、というかこれ以前は全然売れてなかったらしいんだけど、この「椅子」はめちゃくちゃに面白かった。そして「椅子」を踏まえたうえで他の作品を読み直すと新しい読み方ができるというか、初見ではなんじゃこりゃだったものの中に良さが見えてきて、こういう現象も面白かった。
ところでわたしがイヨネスコを手に取ったのも、辛抱強く読み終わったのも、いわば彼のネームバリューのおかげで、歴史的な作家であるというアレがあったからわたしは辛抱強さを発揮し、良さに到達したわけで、これが無名の人だったらここまで頑張らなかった気がするけど、そうやって見落としている様々なものが確実にあったということは悲しく思う。