シンプルに前向きになりたい

もうかなり長いことネガティブ人間として生きているので、ネガティブであることが当たり前になってしまうのだが、定期的に、私の気質はちょっと普通ではないのではないか、何か、こう、改善というか治療をしたほうがいいのではという気分になる。正気。

他人がどれくらいネガティブなのか、ポジティブなのかというのはあんまりそういう話をしないので把握できない。みんな意外と自分のことしか知らない。高度情報社会なのに。先日ネットの質問箱か何かで、自分は親から体罰を受けて育ったので、自分の子供にどれくらい体罰をしていいかわからん、3割くらいかな? という驚くべき質問があり、回答者は、いや普通は子供に手を上げません、体罰0割ですって答えていたのだけど、こんな感じで自分の経験の外のことは案外わからない。家庭内とか精神のことは殊更に。

私なりに自分の気質を分析した結果、私はとても不安になりやすい性格で、些細なこと、人からしたらどうでもいいことにから不安な想像をしてしまう。その不安は、私自身明確に認識できるものもあれば、認識できずになんだかモヤモヤとしたストレスの塊みたいに私の中に存在し続けるものもある。

例えば前者の認識可能なものとしては締め切りに間に合わないとかがある。これはかなりわかりやすいし、締切までの時間と進捗のバランスでストレスが増えたり減ったりする。後者の認識できないものとしては、例えば私の些細な言葉が相手に悪い印象を与えてしまったのでは、とかがある。私は普通に日常生活を送っているにもかかわらずモヤモヤと恒常的なストレスを抱えることがあり、冷静になって振り返ると、あの時あの人に言ったあの言葉がずっと引っかかっていたのだなと思い出すことがある。

とにかく生きているとそういった不安が無数に現れて体が重くなる。些細な行動でも複数の不安を打ち払って実施しなければならなくなる。無数の不安はストレスであり、私をネガティブにさせる、何もしないのが一番じゃんという気持ちになる。この不安がなければもっとパフォーマンスが出るのになと思うことはよくある。

そこまでわかっていて、じゃあどうしろというと、結局あれか、認知行動療法とかスキーマ療法とかを地道に頑張っていくしかないのか? となる。不安が発生したときにそれを記録することは手間も時間も精神力も必要だがなるほど確かに効果があるなと思う。

一応私なりに独学で10年くらいは頑張ってみたのだが、それゆえに10年前よりはかなりマシになったが、それでもなおつらいというのが本音である。独りでやっていくのはもう厳しいという気がする、カウンセリングとか受けるのか? そもそもカウンセリングってなんだ? 海外のドラマを見ているとなんか患者が安楽椅子みたいのにゆったり座ってカウンセリング受けるシーンとかよくある。あと自助グループで、みんなが円になって座って順番の自分の経験を言うやつもある。ああいうのって日本ではどうなんだろう。

あと近況について書くと、やはり転職したのがメンタルにきている。環境が変わるのはきつい。何がよくて何がだめなのか指標が完全にリセットされるから。何が良くて何がダメなのかという基準はマジで組織によってまちまちで、組織が変わるたびにそれを学習し直さなきゃいけないし、しかもそれはその組織の構成員にはなんとなくカルチャーとして共有されているものなので明文化されておらず、つらい。だから今は、まあ普通につらい時期なんだよな。