不安とめんどくさささ

わたしがめんどくさいとかだるいと思っていたことの多くは実は不安なのではないかと思った。

例えばわたしはメールを確認したり、電話を受けたり、人に連絡をとったりするのが苦手で、それはつまり不安なのだ。人とやりとりするとき、もしかすると怒られるかもしれないとう不安がある。なんでそんなに怒られることが怖いかというとこれも難しい問題なのだが、R.D.レインの「引き裂かれた自己」という本で精神分裂病質について分析されているのだけど、レインによると、そういった人たちは自分の存在というものが確固たるものに感じられず、他者に自分の存在そのものを依存し、常に脅かされており、普通の人にとっては当たり前でなんの苦労もない行動が、彼らにとっては全存在を賭けて行うようなものになるというようなことが書かれいて、なるほどなあと思った。多分わたしもそんな感じだとおもう。こっちは命がけでメール開いてるんだよ。

不安がやってくるとどうなるかというと、頭の奥がずーんと重くなって、次に身体がずーんと重くなる。つまりだるい。わたしはかなりのめんどくさがりやなのだが、わたしがめんどくさいと思っていることの何割かは、めんどくさいのではなくて不安によってだるくなっているのではないか。

めんどくさいものを対処するときにタスクを分解して手をつけやすくするというのがあるけど、不安が原因でだるくなっている場合この方法はあまり役に立たない。どんなにタスクを分解しようとそれをこなそうとすることは不安に近づいていく行為なので、結局だるい。実際には不安というのはその正体を見極めるほどに小さくなっていくものなのですこしづつでも進められれば状況は改善していくが、不安に向かって進むというストレスはものすごくて、つらい。タスク分解は不安を減らさない、むしろタスク分解によってめんどくささが減ったはずだから出来るはずという強迫観念がむしろやばい。そういうこともある。根本的に対処法を間違っていた。

不安に対してできることは大きく二つあって、一つは安定剤を飲むということ。あと一つは不安の対象について客観的に分析するというやつで、これについてはまた後で書こうと思う。