不安と認知行動療法について(人生、もうちょっとマシになってくれ)

どうしようもないくらい不安になってしまうことたまにある。いやたまにじゃないかもしれないちょくちょくある、慢性的にある。不安は突然やってきて、わたしは頭がいっぱいになってしまったり、動けなくなってしまったりする。 ちょっといい加減これは生きづらすぎるので、いろいろと調べた結果、認知行動療法というのを独学でやっています。

いくつか読んだけどこの本が良いので、これにそってやっている。

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

この本では低い自己評価や不安が発生する要因として、「体験」「最終結論」「生きるためのルール」という3つの要素ををあげている。まず幼少期の「体験」、虐待や親からの無関心などによって自己や人生に対する「最終結論」が形成される(それは嫌な体験から生まれるので絶望的なもので主観的なものである、例えば自分には価値がない等)。ところで最終結論を持ちながらも生きていかねばいけない、そのために「生きるためのルール」をつくる(私には価値がないので人の役に立たなければならない等)、このルールが破られそうになるとき(人の役にたてなかったどころか不利益を与えてしまった等)、強い不安が発生する、というのがこの本の根本にある考えだ。

認知行動療法の最終目標は、最終結論と生きるためのルールをより生きやすい柔軟なものに修正していくことにある。そこに向かって、ワークを積み重ねていく。具体的には不安を記録したり、行動計画を立ててその結果を点検したりという作業を積んでいく。

わたしはこの方法が合っているらしく、短期的にも長期的にも効果を感じている。

ところで不安についてだけど、年がら年中ひっきりなしに不安というわけではない。波があって、わりとなんともなくやっていける時もあれば死にそうなときもある。死にそうなときにこの本を読み直して、ちまちまやりつつ凌いで、マシな期間に突入するとやめてしまうというのをここ数年繰り返してきたが、それだと根本的に何も変わってない気がして、ここらでちょっと本腰入れて向き合っていこうと思ったので最近真面目に取り組んでいる。

こういこと、不安で死にそうとか認知行動療法やってるとかはあんまり人にはしてこなかったんだけど、ツイッターみてるとみんなわりとカジュアル(?)に心療内科行ったり薬のんだりしてて、いやカジュアルという表現は適切ではない、みな切実だ、そういうのを読んだりして参考にしたりするので、わたしも発信してみようかなとおもった。ところで不安についてだけど、年がら年中ひっきりなしに不安というわけではない。波があって、わりとなんともなくやっていける時もあれば死にそうなときもある。死にそうなときにこの本を読み直して、ちまちまやりつつ凌いで、マシな期間に突入するとやめてしまうというのをここ数年繰り返してきたが、それだと根本的に何も変わってない気がして、ここらでちょっと本腰入れて向き合っていこうと思ったので最近真面目に取り組んでいる。

こういこと、不安で死にそうとか認知行動療法やってるとかはあんまり人にはしてこなかったんだけど、ツイッターみてるとみんなわりとカジュアル(?)に心療内科行ったり薬のんだりしてて、いやカジュアルという表現は適切ではない、みな切実だ、そういうのを読んだりして参考にしたりするので、わたしも発信してみようかなと思った。

というかこういうこと書いてて思ったけど普通に医者いけ案件な気がする。私の認識としてはこれは私が元来持ってる気質で、これを付き合っていくために色々とやっているという認識だったのだけど、もしかすると治るものなのかもしれない。生きるの普通に辛いのでもうちょっとましになってくれてもいいなとおもう。