コストパフォーマンスについて

コストパフォーマンスとか最初に言いだしたのは誰なんだ。まるで万能の物差しのようになっているが、実際のところコストパフォーマンスで測れるのは経済活動とかそういう限定されたものだけで、たとえば人生とかについて考え始めると破綻する。

それでもやはりあらゆる物事のコストとパフォーマンスを皮算用している自分がいる。

何事かを始めるということは少なからずそこに全てを可能にする力を夢見ていると思う。仕事や趣味やお金や恋人や、わたしがこれから為すこと手に入れることが、漠然とわたしを一切から救ってくれるような感じを、やはり漠然と感じながら、信じながら何事かを始める気がする。

それについて時間や労力を注ぎ込みながら、ほんとうにこれはわたしを救ってくれるのだろうかと逐一不安になっている。それは狂ったような信仰だが、なんらかのそろばんでコストとパフォーマンスが釣り合わなくなった時に辞めたりダメになったりする。

わたしはわたしの行為を喜捨のように行いたいと思う。人生からなんの見返りも求めなければいいのにとおもうが、実際のところ難しい。

喜捨というのは良いかもしれなくて、実際に喜捨してみればよくて、たとえば寄付とか、贈り物とか。