ちょうど一年前の今日の日記

にっきを書きます。 まあいろいろあって、いろいろあってというのは雑な言い回しだ。

鏡が見たくない現象とわたしは便宜上呼んでいるのだけど、そういうのがあって、つらい。 行為に小さな抵抗成分が存在し、それに打ち勝つことができない。語弊がある、まあ、流れてしまう。流れと量の法則に従ってしまう。

つまり抵抗の小さいほうにいくということだ。

それでもやりたいことがあり、少しづつやっている。だましだましやっている。良いです。

自己を啓発すると期待してしまってむしろ無理感がある。

思い返せばわたしは世界が怖くて仕方がなかった。 未知に向かってどうやって踏み出せないいいかわからなかった。安心や保証がほしかった。あと許可。

しかし結局のところ、どれだけ経験を積んでも未知はなくならず、不安はありつづける。ある地点に到達すれば完成して不安がなくなるのでは、このひとは不安なく生きているのではそういったこと感じるけれど、結局だれもが不安に生きている。いやそうは言い切れないんだけどさ。

でもわたしが不安でなくなることはないとおもう。なので結局、持ってるものを全部使うっていう雑な感じであれしていくしかない。

とにかく未知なので、自分はさもできるように振る舞うというのは有効なのではないかとおもう。それは傲慢な嘘をつくというのではなく、自分を甘やかさないというか。

自分は初心者なんですっていうのに感じる言い訳くささ、それの対極としての、自分はできると振る舞うことそういうかんじ