きっと後悔するぞという人よ

小学生の時、先生に何かでこっぴどく怒られて、でもそのすぐ後に友達と楽しく話してたら、先生から、「さっき怒られたばかりなのに反省の色がない」的なことを言われた。

転職のときに、上司から、「きっとお前は後悔するぞ」と言われた。

他者からして、わたしに求めているものや期待しているものは反省や後悔だ。しかし私にとって私に最も重要な事は生きることだ。

なるほど私は生きている限り無数の後悔をするだろう、そしてまた生きるだろう。なので後悔するぞという忠告は無意味だ。

 

他者にとっての私はある感情や態度を示すことを期待される。悪いことをすれば罪悪感、謝罪、反省といったものを、忠告を無視すれば後悔などを期待される。円滑なコミュニケーションや角を立てないというのは求められている概念を把握して上手に表出する能力だ。

問題なのは、他者からの要求であるはずの罪悪感が、自己からの要求にすり替わってしまうことなんだよな。

社会性として、コミュニケーションとして罪悪感を表出していたのに、いつの間にか自己が自己にそれを要求しているようになり、罪悪感そのものにならなければというような強迫性が生まれる。これがつらい。

感情の表出は社会性であり、内奥は下衆でしたたかに保とうと思う。