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やる気に関する覚書

難しいですね、やる気。やる気に関するつらつらです。

やる気は必要か

やる気はどうしてもムラがあるので、それで作業の効率や生産性が左右されてしまうのはちょっとあれなので、 やる気にかかわらずやれるようにしていこうという話はよく聞きます。

なるほどそりゃあいいねって思うけど、やる気はないより適度にあったほうがいいし、もう一歩踏み込むか? みたいなところはやはりやる気かなとおもいます。 やる気がゼロでも動けるレベルのいわゆる底上げと、やる気そのもののマネジメントみたいな両面で対策を打っていくのがいいのだろうと思います。

だめなとき

前提として、なにもやらなくてもいい、という価値観をおいておきます。 どうしてもやる気が出なくて、動けなくて、なにもできなくてもいいよ。 だめでもいいよという価値観を自分のなかで明示しておくのは結構重要なんじゃないかとおもいます。

ある程度の行動

なにもやらなくてもいいんだけど、なにもやらないで生活するのは精神衛生上あまりよくないという経験則があります。 適度になにかやったほうがいいです。

ここまでやる気一般について書いてきましたが、ここからは仕事、労働のことに話題を絞ります。 なぜかというと、ここ数年でわたしは労働におけるやる気の維持のようなものが難しいなあと感じているからです。 私生活においてやる気がないときは寝ればいいけど、職場では寝れない。 労働なので、最低限こなせればいいんだけど、かといってやる気の発生しない倦怠の気持ちで、しかし仕事は真面目にやってますみたいな風体で職場に居続けるのはきついです。

意味のないことはつらい

やる気のでない仕事の振られ方というのがあって、作業だけ振ってくるのが一番つらいです。 意味のない作業はつらい、意味が奪われていくとどんどんつらくなります。

話をすると少し楽になる

というのは、私が一日中だれとも話さなかったりするからです。 話さなくていいというのはすごく楽なのですが、それが続くとなんのためにやってるんだっけという気分になってきます。

労働がそもそも社会との関わりあいで発生するものなので、人と交流しないと労働の意味が削れていくように感じます。 これは対策が簡単で、職場の人と話をする、とよいです。話をすると、あっわたしはこの人のために仕事してるんだったというような再発見があって、急に楽になったりします。

人間には変なプライドがあり、他者によって簡単に自分が影響をうけるとそれを隠したり認めなかったりしますが、実際わたしは楽になるので、人と話すことはすごいなあと思います。

成果を送りつける

必須ではないけどやっておいたほうがいい仕事、というのは意味が削られやすいように思います。それはまだ求められてない仕事だったり、前例がないものをつくっていたりするからです。大げさな話をしているわけではなくて、ちょっと詳細なドキュメントをつくっておこうとか、立ち話でうっかり重要なことが決まったのでまとめておこうとか、そういうことです。

そういう仕事にとりかかっているとき、あれ? これ? 必要かな? 余計なのでは? 意味ないのでは? という不安が、仕事の意味を削りにきます。するとやる気がなくなったりします。 そういうときは、とにかく小さくても成果を関係するひとに送りつけたりすると、途端に意味が発生して楽になったりします。

意味を大事に

要するに、意味を大事にするといいなと思います。 「ほうれんそう」という謎の言葉がありますが、上司から部下へのそれはわりとおざなりになっている場合が多く、意味が欠落することがあり、やる気がどんどん下がっていきます。 あと説明が下手とかでうまくいかなかったりもします。

意味を大事にして健やかなやる気を。