ひとつのものを使い続けること

情報は一冊のノートにまとめなさいみたいな本が数年前に流行った気がします。私は読んでないけれど。

一元化すること、規格化すること、統一すること、ただひとつのものを使い続けることというのは、合理的に聞こえるし、美しさも感じられます。 しかし現実には道具には得手不得手があり、一長一短で、なかなかまるっと一つにまとめることは難しいです。あと最大の問題として飽きる、というのがあります。 わたしはとても飽きっぽいのですぐに別のものに移ってしまいます。

いまわたしは道具全般についての話をしようかと思いましたが、なんだか焦点がぼやけるのでメモ帳の話をします。

一番長くつかってるメモ帳はたぶんコクヨ測量野帳で、これは30冊くらいつかったし今でも使っています。野帳は会社の経費で買えるのでコストゼロだし、買うときは10冊セットで買うのでストックしておけるのもよいです。 野帳もずっと使い続けているというわけではなく、そのときの気分でいろいろ浮気しつつ結局これに落ち着いてるという感じです。

学生のころは無印のツインリング無地ノートをつかっていて、これもすごく気に入ってました。当時は教科書を持ち歩いたりしていたので、B5のノートでも問題なくもてたというのが大きかったです。無印はわりと廃番になったりするのでもうないかもしれません。

ミドリのMDノートも良かった。ちょっと高いけど。製本がよくて、パタンと開けるところがよかった。あと紙質が自慢らしくて実際良いでした。

ミドリ MDノート<文庫> 方眼罫

ミドリ MDノート<文庫> 方眼罫

MDノートがよかったので同じ紙でつくられているトラベラーズノートという手帳も良いかもとおもったけど、こちらはパタンと開けなくて使いにくかった。

ところでわたしは罫線というものが嫌いで、無地か方眼のノートを使います。昭和天皇も罫線きらいだったらしいです。

道具は別にこだわる必要はなくて、飽きる罪悪感とかも感じる必要はなくて、その時々で気分でいろいろ使うというのが良い感じです。 いろいろ使っていると、そのなかで良いものが生き残っていって、その良いもののなかから現状にフィットしたものが手元にのこるという結果になります。