ギリギリさに気づく
最近ポストを開けてないなと思った。開けてみると郵便物がたくさんと不在届が3枚入っていた。3枚のうち2枚は保管期間が過ぎていた。
つまり一週間以上ポストを確認していなかったということになる。
今年になって気づいたことは私が予想以上に環境の変化に弱いということだ。死んでないのでやっていけてはいるが、こういうところで歪みがでるのかあという発見であった。
毎日やること
毎日やることは良い。
勉強にしても読書にしてもプログラムにしても、毎日やると脳がそのモードを維持する。
昨年末から先週くらいまで、毎日英文法の勉強をしていたのだけど、その期間は脳が英文法のモードを維持していた。この状態は楽しくて、教科書を開くと昨日のつづきからすぐ始められる。
これを一度休むと、脳のモードが途切れてしまって、久しぶりに勉強するかと言う時にモードの呼び出しにとても時間がかかる。つまり一週間くらい英語の勉強をしていない今のことなんだけど。この状態で勉強を続けるのはつらい。
つまりある一定の期間、毎日、ガッとやるのが効率的で楽しい気がする。いくつかのことを断続的にだらだら長くやるのは、モードの切り替えなどでイライラするし非効率な気がする。
漠然とした不安と混乱した思考
今朝、起き抜けに漠然とした不安に捕まってしまい、混乱したまま半日くらい過ごしてしまった。その間は不安が延々に頭の中を回転し続け、同じことを考え続け、同じ絶望的な答えに辿り着き続けていた。
銭湯に行き、落ち着いて冷静になってみるとそんなに大したことではなかった。というか、ともかく工夫してやっていくしかない。
わたしがどれだけ不安になろうとやるべきことはあまり変わらず、問題は依然としてそこにあり、対処していくしかない。なのであまり不安になり過ぎないことが肝要だと思う。
混乱というのもあり、混乱してしまうとともかくうまく考えられない。うまくない考えは同じところを何度も回って筋の悪い着地を繰り返すので本当に体に悪い。混乱したら一刻も早く冷静になるべきだし、肉体的な刺激は良い。布団の中で混乱して布団の中に居続けると何もよくならない。
というのはもう何度も経験していることなんだけどなかなか毎回同じようにダメになってしまう。生きることはとかく難しい。とかく の使い方に自信がない。
人がたくさんいるということ
月並みな感想だが、東京には人がたくさんいる。
こんなにたくさんの人が仕事をしていて、こんなにたくさんのひとがやるほど仕事があるというがすごい、そんなに一体何があるんだ。
しかし、たくさんのひとが経済活動をして、複雑さと戦い続けているから文明があり、アマゾンが届いたり災害対応できたりケータイがつながったりしている。
たくさんの人間というのは絵面としてかなり気持ち悪くて、もっとスッキリしてほしいと生理的に思うけど、このようにして人類が社会が引いては個人が厳しい自然の中で生存しているのだなあなどと思った。
考えるのをやめること
割と大きく環境が変わった。朝早く起きなければいけなくなったし、とにかく慣れないことばかりで大変だ。新しい環境はストレスが大きい。
ふと以前の状況と比べると、慣れ親しんだ環境は懐かしく、ここに来なければよかったと思ってしまったりする。あの牧歌的な世界でぼんやりとやっていればよかった。
わたしがいまやるべきことは考えるのをやめることなんだろうと思う。考えるのをやめて、できる限り休んで、効率的に、新しい生活に慣れる。試行錯誤と小さな改善で生活を良くしていく。
疲れている時にものを考えるとだいたい破滅的になって良くない。良くないことしかない。とにかくいまは眠ろうと思った。
プログラミング言語C++ を読んだ
読んだ。
9504円、1360ページの大著だった。 kindle 版で読んだので物理的なプレッシャーは感じなかったけれど、右下の%表示が全然進まなくてびっくりしました。
C++ は全然書いたことなくて、C のテストを C++ で書くくらいしかやったことなかったので、ちょっとちゃんと勉強してみようと読んでみた。1万円の本が買えるの本当に労働の力という感じがする。
物理的に重い本でも、kindle だと簡単に持ち運べてとても良い。あとパソコンで読めるので仕事に飽きたときにこっそり読める。とりあえず画面にコードが表示されてればいいっしょ。
本の感想としては、「C++は俺がつくった」という自信に満ちていてすごかった。