役所と怒られ

市役所から色々と届いていたが開封できずに何日か何ヶ月か経っていた。郵便物というのはこわいし、電話もこわい。だいたいそれらはわたしを怒るためにやってくる。出れば怒られるというのになぜ出るだろうか。おもえば進研ゼミのころから郵便物は憂鬱だった。しかしいつまでも無視し続けるわけにもいかないし、溜めすぎるとどうにも体調が悪化するので頑張って今日まとめてこなしてきた。税金などかなりぐちゃっとなっていたが市役所の人がうまい感じにさばいてくれてことなきを得た。プロはすごい。労働は尊い。思いのほか金がないのは働いていないからであって、しかも色々あって出費がかさんでいる。家計はよくわからない感じになっている。もうビットコインでひとやま当てるしかないかもしれない。やめよう。わたしは人に怒られるのが極端に嫌いで、人になにか言われるとすぐに怒られたとおもってしまう。そして怒られたというと、そのひとはべつに怒ってないと言い、ちょっと変な空気になってしまうことが多い。だから市役所なども行くと怒られるのではないかと思ってつい行けなくなる。しかし怒られるとは一体なんなのだろう。怒るとはいったいなんなのだろう。何人たりともわたしの価値を毀損することはできない、侵すことはできないと思っていても、実際に怒られたり失望されたりすると肉体の一部を失うような喪失感と恐怖がある。

なにもしないと精神が悪化する

なにもしなくても悪化しない精神があれば万事解決では?

それはそうなのだが実際の話、なにもせずにのんべんだらりと過ごし過ぎると精神が悪化するのでよくない。しかしここは塩梅の話で、なにか大きなことをえいやっとやり遂げたあとはしばらくなにもしなくても良いみたいな感じになる時もある。ともかく重要なのは精神が悪化しているときはなにかしら原因があり、怠惰が過ぎるパターンではなにか簡単なことを手につけたほうがいいということ。

あとなにもしなかった日は何もしなくても大丈夫な精神の鍛錬と思うこと。

理想の終末(猫のゆりかご感想)

理想の終末とはなにか、おそらく猫のゆりかごで提示されるものはその一つだろうとおもう。静まった世界で生きることも死ぬことも容易である、好きなときまで生きて、死にたくなったら美しく死ぬことができる世界。

またボコノン教というカルトもこの作品の魅力だろう。訳者はボコノンの教えを「全体を貫く作者の思想」と解説で書いているが、むしろわたしは宗教のパロディだと感じた。パロディには形式を強調することで内容の不在を表す機能があると思う。宗教は空っぽでかつ人間を救う。

本と他者

文学フリマにサークル参加するのは3回目だった。つまりわたしは今まで3冊の本をつくった。本を書くということはとにかく最初から最後までつらい。不安と自己嫌悪の連続だなとおもう。最後までといったが、そんじゃあ書き終わったらスパッと気持ちよくなれるのかというとそうでもなくて、やはりうじうじと悩み、文フリ当日は鬱々とした気持ちで設営をしている。

たくさんの言い訳をツイッターで垂れ流したい。しかしここで他者というものが出てくる。曲がりなりにもわたしは自分の本を売っているわけで、そしてなにを間違えたか買ってしまう人もいる。せっかく買った本を、読むにしろ読まないにしろ、その作った当人がつまらないだの後悔しているだのうだうだ言っていたらかなり気分が悪い。というわけでそういう鬱屈としたものは口に出さない方が良いということになる。他者すごい。

文学フリマありがとうございました

今日は文学フリマ東京でした。おかげさまで新刊既刊ともに完売いたしました。ありがとうございます。(何冊刷ったとかは書かない。完売という事実のみを明記する)

ツイッターでなんとなく繋がっている方々にも買っていただけたような気がします。わたしもみなさんの本を買いましたよ。

ほんとうにありがとうございました。

自己が苦手

これは告知ですが「しししし」という雑誌が出ます。わたしも関わったり関わらなかったりしました。

http://shishishishi.liondo.jp/

いま試しにググってみたけど、著しくググらビリティが低いですね。

ところでこれに絡んで簡単な自分の紹介文的なものを書く必要があったのですが、ああ自己紹介って苦手だなと再確認した。twitter の bio も苦手で、適当なフレーズとか本の引用で誤魔化している。いわゆる学校で行う自己紹介というのも憂鬱だった。結局今回のやつは無職とかなんとか書いて有耶無耶にしておいた。

「きっと何者にもなれない…」という有名なフレーズがあるが、何者かになりたがっているのに自分が何者かを名乗るのが苦手というのは一体何なのだろう。それはそれとしてどのような形であれ自己を表明するというのは少なからずシャキっとするものがある。

健全にプロジェクトをやっていきたい

11月23日 東京文フリの本が無事入稿できた。

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「物語と反物語」 11/23 文学フリマ東京 カ-58

内容は不条理主義とか実存主義とか不条理演劇を通して「語る」という行為を考えてみようという感じのものです。カミュとかサルトルとかベケットとかです。

果たして無事入稿できたと言えるのだろうか。出来る限りまでやって力尽きたところで入稿したという感じがある。やっぱりそういうのはよくなくて、しっかりブラッシュアップするようなものづくりをしたい。健全に個人プロジェクトをやっていきたい。

スケジュール的な方向性以外にも精神的にもプロジェクトの進行は不健全だ。あるプロジェクトを抱えていると他のことが手につかなくなる。やる気がなくてなんとなくだらだらするときも罪悪感とかにまみれてしまい遊ぶことができないとか、そういう不健全さがある。頑張って少しづつ習慣をつくっていくしかないのだろう。